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一二七〇(文永七年)生。
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『三井寺灌頂脈譜』、『寺門傳記補録』第十六「非職高僧略傳」卷下「前權僧正眞覺 圓滿院」より逆算。
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園城寺圓滿院に入室。
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弘安五年(一二八二)受戒。
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弘安五年(一二八二)八月十二日、圓滿院二品圓助法親王が薨去した際、その遺跡を、「新院御息」(性覺法親王。龜山院の男子)と「故中務卿親王御息」即ち眞覺が管領するであろうとの「巷説」があった。
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『勘仲記』弘安五年八月十二日己亥
円滿院二品親王(円助。故院御息。御歳四十七歳)卯時令薨去給。爲御訪爲御使可參坊城殿由、自殿下被仰下。・・・・・ 御跡事兩宮(新院御息、故中務卿親王御息【眞覺】)可有御管領之由、有巷説。
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弘安十年(一二八七)四月十三日、園城寺唐院において菩提坊幸金法印より灌頂を受ける。十八歳。
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『三井寺灌頂脈譜』
幸金法印授二人
圓滿院 同【弘安】十ー四ー十三ー 唐院十六人 ・・・・・
眞覺(年十八/戒六)(前權僧正 遁世)
中務卿宗尊親王息
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『寺門傳記補録』第十六「非職高僧略傳」卷下「前權僧正眞覺 圓滿院」
眞覺 中務卿宗尊親王(宗尊、後嵯峨院御子、征夷大將軍)子。至前權僧正。弘安十年四月十三日、受大法灌頂於幸金法印。時年十八、臘五。至後遁世退院。
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權僧正に任じられる。
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『三井寺灌頂脈譜』
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『寺門傳記補録』第十六「非職高僧略傳」卷下「前權僧正眞覺 圓滿院」
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『諸門跡譜』圓滿院「眞覺權僧正」
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遁世し、園城寺圓滿院を退院。
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『寺門傳記補録』第十六「非職高僧略傳」卷下「前權僧正眞覺 圓滿院」
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『三井寺灌頂脈譜』
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還俗。
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『諸門跡譜』圓滿院「眞覺權僧正」
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『稿本後嵯峨天皇實録』一二七〇頁には、眞覺の子、源朝臣宗治の生年である元應元年(一三一九)を掲記して、「元應元年、是ヨリ先、還俗ス、」と立條する。
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