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上乘院(下川原/下河原)に入寺。
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『帝系圖』裏書「恆明親王」の子「乘朝法親王」
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『諸門跡譜』「上乘院」
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貞治六年(一三六七)八月二十七日、親王宣下。
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『師守記』貞治六年八月廿七日辛未、
・・・・・ 次、有法親王 宣下事。上卿同前【柳原忠光】、奉行職事嗣房朝臣。御名字「乘朝」云々。不及注折帋也。下川原宮云々。
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廣隆寺別當に補される。
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『仁和寺諸院家記(心蓮院本)』「上乘院」L「權僧正乘朝」
(『仁和寺史料 寺誌編(一)』 一八〇頁)
式部卿恒明親王息。自御室被讓進之。御室(【右傍】「禪河院」)【禪阿院御室 法守親王(後伏見院の二男)】御付法。廣隆寺別ゝ。
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『仁和寺諸院家記(惠山書寫本)』上「上乘院」O「權僧正乘朝」
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二品に敍される。
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『仁和寺諸院家記(惠山書寫本)』上「上乘院」O「權僧正乘朝」
(『仁和寺史料 寺誌編(一)』 二七七頁)
式部卿恒明親王息。禪河院御室御付法。自御室被讓進之。
廣隆寺別當。相國寺塔供養記云。上乘院二品親王乘朝(云々)。明コ元年四月卅日、故等持院贈左相府卅三年結縁灌頂、於相國寺被行之。大阿闍梨御勤仕。色衆卅口。此外威從四人。
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