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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[乘朝]
 
フレームなし

工事中

【僧】乘朝法親王
 
 仁和寺上乘院
(一六)
 「下川原宮」「下河原宮
 
【出自】
 恒明親王[常磐井宮]の男子。
 龜山院の孫。
 
【經歴】
上乘院(下川原/下河原)に入寺。
『帝系圖』裏書「恆明親王」の子「乘朝法親王」
【袖書】仁
【尻付】上乘院/下川原。
『諸門跡譜』「上乘院」
乘朝法親王。恒明親王息。龜山院孫。號下川原。
貞治六年(一三六七)八月二十七日、親王宣下。
『師守記』貞治六年八月廿七日辛未、
・・・・・ 次、有法親王 宣下事。上卿同前【柳原忠光】、奉行職事嗣房朝臣。御名字「乘朝」云々。不及注折帋也。下川原宮云々
廣隆寺別當に補される。
『仁和寺諸院家記(心蓮院本)』「上乘院」L「權僧正乘朝」
 (『仁和寺史料 寺誌編(一)』 一八〇頁)
式部卿恒明親王息。自御室被讓進之。御室(【右傍】「禪河院」)【禪阿院御室 法守親王(後伏見院の二男)】御付法。廣隆寺別ゝ。
『仁和寺諸院家記(惠山書寫本)』上「上乘院」O「權僧正乘朝」
二品に敍される。
『仁和寺諸院家記(惠山書寫本)』上「上乘院」O「權僧正乘朝」
 (『仁和寺史料 寺誌編(一)』 二七七頁)
式部卿恒明親王息。禪河院御室御付法。自御室被讓進之。
廣隆寺別當。相國寺塔供養記云。上乘院二品親王乘朝(云々)。明コ元年四月卅日、故等持院贈左相府卅三年結縁灌頂、於相國寺被行之。大阿闍梨御勤仕。色衆卅口。此外威從四人。
 
【法嗣】
寛守法親王
[仁和寺上乘院(一七)]
【後光嚴院の男子】

道朝法親王
[仁和寺上乘院(一八)]
【後圓融院の男子】

 
工事中【參考】
『實冬公記』應永二年四月十一日
 ・・・・・
 上乘院宮【乘朝法親王】
 妙法院宮【堯仁法親王】
 上乘院新宮【寛守法親王】
 安井宮
 ・・・・・
【御八講捧物。僧中】
 ・・・・・
 上乘院宮【乘朝法親王】
 ・・・・・
 上乘院新宮【寛守法親王】
 ・・・・・
『兼宣公記』應永廿九年四月廿七日癸丑
自今朝室町殿【足利義持】御座等持寺。申斜自御室【入道永助親王】并下河原宮【乘朝法親王】被仰下云。寶鏡寺殿(室町殿【足利義持】御姑。鹿苑院【足利義滿】御妹也)御円寂之由有其聞。如何之由被尋下之間、參等持寺之處、今朝辰剋御事(云々)。自去春比御病惱事也。
『看聞日記』巻十八紙背文書、[四〇四]貞成親王御書状案、(三〇五頁下〜三〇六頁上)
【下河原殿(上乘院乘朝親王)】


 
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更新日時: 2008.02.03.
公開日時: 2008.02.02.

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