春子女王


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[春子A]

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春子[女王]
 
 「土御門殿」
 
【出自】
 
土御門院の女子。
 
少外記平田家本『本朝皇胤紹運録』土御門院の子
准后
謀子内親王

秀子

春子

知子

信子

是子
 
【母】
 源朝臣通子
典侍
贈左大臣正一位源朝臣通宗[土御門宰相中將]の女子。
『一代要記』土御門天皇 皇女
四女 母通宗卿女
 
【經歴】
一二一〇年(承元四年)生。
承明門院に養育される。
嘉祿二年(一二二六)五月二十六日、藤原朝臣定家は書寫した『源氏物語』三帖を「承明門院姫宮」に進獻。
『明月記』嘉祿二年五月廿六日
雖手振目盲、依黄門懇切、承明門院姫宮『源氏物語』之内三帳「紅葉賀」「未通女」「藤裏葉」書進之。
嘉祿三年(一二二七)閏三月十二日、藤原朝臣定家は書寫した『古今和歌集』を「土御門殿(姫君御料)」に進獻。
『明月記』嘉祿三年閏三月十二日
黄門成誂之『古今』今日終。老眼書寫進土御門殿(姫君御料)。自御誕生奉付。依懇切之志誂付之。爲縁者之證據、染老筆也。
寛喜元年(一二二九)十二月頃、病惱。
『明月記』寛喜元年十二月廿五日己未
承明門院姫君(土御門院皇女)日來令惱給之由聞之、今日尋申。黄門局無申限大事御由答之(水腫歟。今年殊多)。此女房自幼稚奉付。定又周章歟(母儀通宗相公女。承久三年也)。一腹皇子數多云々。今年二十歟。
寛喜二年(一二三〇)九月五日歿。
『明月記』寛喜二年九月七日乙未
午時許、興心坊被過坐之次、初聞此事。承明門院姫宮一昨日(五日)子刻絶入給。夜中被仰可參由。依路頭怖畏不參。丑時重有中納言之局書状。憗參間、於正親町富小路、石見守相遇。令事切給了由告之。仍自路歸。昨朝猶頻招請。不申假於殿下者不能參之由答之。聞此説始驚之。更非筆端之成及。黄門局即出家訖云々。不聞及之條、實以不可思議。月來於事有令惱給之由、如御形貌令損衰給歟由問之。更其氣不御座、實端嚴美麗御座云々。自誕生之始奉侍。戀慕之思可察事歟。足悲。但今日衰日也。何爲哉(今年御年廿一歟。母宰相中將通宗女。承久三年八月逝去)。
『明月記』寛喜二年九月八日丙申
『明月記』寛喜二年九月九日丁酉
寛喜二年(一二三〇)九月七日、吉田本墓堂に埋葬(土葬)。
『明月記』寛喜二年九月七日乙未
後聞。彼姫宮今夜々半許奉渡東山。女院令渡督三位高橋給。只留守女房兩三殘留云々。
『明月記』寛喜二年九月九日丁酉
七日夜半奉渡吉田本墓堂(土葬)。範綱等在其堂。
 
【文獻等】
稿本土御門天皇實録』六八一〜六八三頁「皇女春子女王」


 
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公開日時: 2021.06.19.
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