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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[彰常]
 
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彰常王 あきつね
 
 のち粟田彰常 あはた あきつね(あわた あきつね)[侯爵]
 
【出自】
 
稔彦王[東久邇宮](のち東久邇稔彦)の三男。
 
【母】
 聰子内親王
 稔彦王妃
 のち東久邇聰子
 明治天皇の九女。
 
【經歴】
大正九年(一九二〇)五月十三日生。
『法令全書』大正九年五月 告示 「宮内省告示第十三號(官報 五月十四日)」
五月十三日午前一時五分稔彦王妃殿下分娩王男子誕
生セラル
  大正九年五月十三日
          宮内大臣 子爵波多野敬直
彰常王
大正九年(一九二〇)五月十九日、命名。
『法令全書』大正九年三月 告示 「宮内省告示第四號」
五月十三日誕生セラレタル稔彦王殿下ノ王男子名ヲ
彰常アキツネト命セラル
  大正九年五月十九日
          宮内大臣 子爵波多野敬直
昭和十五年(一九四〇)十月十日、成年式。勲一等に敍され、旭日桐花大綬章を授けられる。
『官報』第四一三一號 昭和十五年十月十一日 告示 「宮内省告示第二十四號」
本日彰常王殿下成年式ヲ濟マセラル
 昭和十五年十月十日
        宮内大臣 松平 恒雄
◎『官報』第四一四二號 昭和十五年十月二十六日 授爵、敍任及辭令 「昭和十五年十月十日」
             彰常王
敍勲一等授旭日桐花大綬章
粟田彰常 [侯爵]
昭和十五年(一九四〇)十月二十五日、臣籍降下。「粟田(あはた)」の家名を賜わり、侯爵を授けられる。
『官報』第四一四二號 昭和十五年十月二十六日 告示 「宮内省告示第三十一號」
本日勲一等彰常王殿下ノ情願ヲ允サレ粟田
ノ家名ヲ賜ヒ華族ニ列セラル
 昭和十五年十月二十五日
        宮内大臣 松平 恒雄
『官報』第四一四二號 昭和十五年十月二十六日 授爵、敍任及辭令 「昭和十五年十月二十五日」
          勲一等 粟田彰常
授侯爵
最後の賜姓侯爵。
「粟田」の家名は、祖父朝彦親王が青蓮院門跡となり、「粟田宮」と稱されたことに因む。
陸軍大尉。
粟田彰常
昭和二十二年(一九四七)五月三日、日本國憲法の施行により、華族(侯爵)の身位を喪失する。
戰後、改めて東京農業大學農學部に入り、卒業後、米國自動車フォードの販賣會社に勤務。
昭和三十一年(一九五六)、東京都職員として上野動物園に勤務。初代訓練係長。
元皇族が動物に藝を仕込むということで話題を呼んだ。
昭和四十八年(一九七三)、多摩動物園に移る。
定年退職後、横浜市根岸臺の「馬の博物館」學藝員として馬事文化財團に勤務。
 
【配偶】
 粟田典子 あわた のりこ
 ※『平成新修 旧華族家系大成 上巻』 一八〇頁
 粟田久江 あわた ひさえ
 
【子女】
 粟田常一 あわた つねかず
 粟田彰彦 あわた あきひこ
 
【文獻等】
昭和新修 華族家系大成 上巻』 六九頁
平成新修 旧華族家系大成 上巻』 六九頁
『皇室制度史料 皇族三』 三二三頁
「「皇籍剥奪」風雪五十年抄」(『週刊新潮』第四十巻第二号(一月十二日号)、一九九五年一月)、四八頁
日本の名家『旧宮家はいま』2」東久邇家(『週刊読売』一九八八年五月二十二日、一四四〜一四九頁


 
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公開日時: 2008.09.14.
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