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治暦四年(一〇六八)九月十一日、伊勢例幣の使王を勤仕。時に内膳正。
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『太神宮諸雜事記』治暦四年九月
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『伊勢勅使部類記』「伊勢勅使雜例」違路參宮例
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『師守記』文和五年【一三五六】三月廿一日壬寅 裏書「伊勢幣使自新道發遣事」
治暦四年九月祭使(今案九月十一日者例幣也)内膳正章資王、中臣祭主神祇少副元範也 ・・・・・
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『園太暦』「延文改元記」文和五年三月廿四日【吉田兼豐勘進伊勢幣使新道發遣例】
伊勢幣使自新道發遣事
一、先例
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治暦四年九月祭使(今案九月十一日者例幣也)内膳正章資王、中臣祭主~祇少副元範也。參向内宮之間、勅使・宮司、到宇治岡天浦田坂爾不向須。是奈宇志【禰イ】ト云所ニ居住下民死去、爲違彼家門、依先例、任禰宜等申状也。湯田片岸ト云道ニ起テ、井面ヲ徹天、河上ヨリ參宮。十四日~衣祭、用此路。
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