三方王


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[三方]

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三方王 ミカタ
 
 または
三形王御方王
 
【出自】
 舍人親王(崇道盡敬皇帝)の孫。
 天武天皇三世王(もと崇道盡敬皇帝二世王)
舍人親王の子と作すは誤り。
 
【經歴】
天平二十一年/天平感寶元年(七四九)四月十四日、大佛殿行幸の日、無位から從五位下に敍される。
『續日本紀』天平勝寶元年四月丁未
 天皇幸東大寺、御大盧舍那佛前殿。大臣以下百官及士庶、皆以次行列。 詔授左大臣從一位橘宿祢諸兄正一位。以大納言從二位藤原朝臣豊成拜右大臣。授從五位下市原王從五位上。无位三使王、岸野王、三形王、倭王、額田部王、多治比王、厚見王、葛木王、大坂王、出雲王、三河王、長嶋王、高嶋王並從五位下。
天平勝寶九歳(七五七)六月二十三までに大監物に任じられる。
『萬葉集』第二十卷 4483
天平勝寶九歳(七五七)六月二十三日、大監物三形王(三方王)宅において宴あり、大伴宿禰家持が「移りゆく 時みるごとに 心いたく 昔の人し 思ほゆるかも」と作歌。
『萬葉集』第二十卷 4483
  勝寶九歳六月廿三日於大監物三形王之宅宴歌一首
宇都里由久時見其登爾許己呂伊多久牟可之能比等之於毛保由流加母
 右兵部大輔大伴宿禰家持作
天平寶字元年(七五七)十二月二十八日、大監物三形王(三方王)宅において宴あり、「みゆき降る 冬は今日のみ 鶯の 鳴かむ春へは 明日にしあるらし」と作歌。また、甘南備眞人伊香(もと伊香王)は「うちなびく 春を近みか ぬばたまの 今夜の月夜 かすみたるらむ」と、大伴宿禰家持は「あらたまの 年ゆきかへり 春たたば まづ我が宿に 鴬は鳴け」と作歌。
『萬葉集』第二十卷 4488〜4490
  十二月十八日於大監物三形王之宅宴歌三首
三雪布流布由波祁布能未鶯之奈加牟春敝波安須爾之安流良之
 右一首主人三形王
宇知奈婢久波流乎知可美加奴婆玉乃己與比能都久欲可須美多流良牟
 右一首大藏大輔甘南備伊香眞人
安良多末能等之由伎我敝理波流多多婆末豆和我夜度爾宇具比須波奈家
 右一首右中辨大伴宿禰家持
年月不詳であるが、大監物御方王(三方王)、大伴宿禰家持、甘南備眞人伊香(もと伊香王)が歌題「屬目山齋」の歌題で、それぞれ「鴛鴦(をし)の住む 君がこのしま 今日見れば 馬酔木(あしび)の花も 咲きにけるかも」「池水に 影さへ見えて 咲き匂ふ 馬酔木(あしび)の花を 袖にこきれな」「磯影の 見ゆる池水 照るまでに 咲ける馬酔木(あしび)の 散らまく惜しも」と作歌。
『萬葉集』第二十卷 4511〜4513
  屬目山齋作歌三首
乎之能須牟伎美我許乃之麻家布美禮婆安之婢乃波奈毛左伎爾家流可母
 右一首大監物御方王
伊氣美豆爾可氣左倍見要底左伎爾保布安之婢乃波奈乎蘇氐爾古伎禮奈
 右一首右中辨大伴宿禰家持
伊蘇可氣乃美由流伊氣美豆氐流麻埿爾左家流安之婢乃知良麻久乎思母
 右一首大藏大輔甘南備伊香眞人
これを、天平寶字二年(七五八)二月における中臣朝臣C麻呂宅での宴の作歌(二月於式部大輔中臣C麻呂朝臣之宅宴歌)とするのは不適切か。
淡路廢帝(淳仁天皇)の皇位繼承に伴い、天平寶字三年(七五九)六月十六日、從五位下から從四位下に敍される。
『續日本紀』天平寶字三年六月庚戌
 帝御内安殿、喚諸司主典已上。 詔曰。現~大八洲所知倭根子天皇詔旨宣詔親王々臣百官人等天下公民衆聞食宣。比來太皇大后御命以語宣。太政之始人心未定在可波、吾子爲皇太子、先奉昇於君位畢、諸意靜了奈牟傍上乎波牟止氐奈母閇氐ツ流。然今君坐御宇事日月重。是以先考追皇爲、親母大夫人爲、兄弟姉妹親王[止]与止仰給、貴御命頂受給、歡利氐、掛畏我皇聖太上天皇御所奏給倍波、奏世止ヘ宣。朕一人昇賜治賜部流厚恩乎母、朕世尓波酬盡奉事難。生子八十都岐尓自仕奉報倍久良止【之】止、夜晝恐麻里、伊夜uu朕私父母波良何良麻氐尓可在状任上賜治賜事甚恐。受賜事不得世止。朕又念。前聖武天皇皇太子定賜比氐天日嗣高御座昇賜物伊何尓可私父母兄弟及事得、甚恐。進不知、退不知伊奈奏。雖然多比重。吾加久不申成奈波、敢申人者不在。凡人子去禍蒙福麻久欲爲、爲親尓止奈利。此大取々【「々」衍】ハ持、親王送奉江【部】御命受給利氐奈母加久爲。故是以自今以後、追皇舍人親王、≫i崇道盡敬皇帝、當麻夫人稱大夫人、兄弟姉妹悉稱親王宣天皇御命衆聞食宣。辞別宣。朕一人乃未也之岐御命受賜。卿等庶共喜牟止弖奈母一二治賜倍岐家々門々人等冠位上賜治賜久止宣 天皇御命衆聞食宣。又御命坐。大保乎波多他止能味波不念、朕父、復藤原伊良豆賣乎波婆々止奈母念。是以治賜武等倍止、遍重、默在牟止礼止毛、止事不得。然此家止毛波朕波良何良在物乎夜、親王多知治賜治不賜在牟止弖奈母、汝[等]冠位上賜治賜。又此家自久母藤原卿等乎波掛畏聖天皇御世重於母自自門【氏門】波【止】慈賜上賜來奈利。今又无過仕奉人乎波慈賜治賜不忘賜之止宣 天皇御命衆聞食宣」。從三位船王、池田王並授三品。正四位上諱【白壁王】從三位。從五位下御方王、御使王、無位林王、笠王、宗形王並從四位下。從五位下河内王從五位上。
天平寶字三年(七五九)七月三日、木工頭となる。
『續日本紀』天平寶字三年七月丁卯
[以]從四位下御方王爲木工頭。
惠美押勝(藤原仲麻呂)の亂に坐して官位を剥奪されたと推測される。
寶龜三年(七七二)正月三日、あらためて三世王として無位から從五位下に復敍。
『續日本紀』寶龜三年正月甲申
復无位粟田朝臣深見本位[從四位下]。從五位上河内王正五位下。[從五位下]大田王從五位上。无位三方王、宗形王並從五位下。
寶龜三年(七七二)八月十八日、淡路廢帝(淳仁天皇)を淡路に改葬する使となる。
『續日本紀』寶龜三年八月丙寅
遣從五位下三方王、外從五位下土師宿祢和麻呂、及六位已下三人、改葬廢帝於淡路。乃屈當界衆僧六十口、設齋行道。又度當處年少稍有淨行者二人、常廬墓側、令修功コ。
寶龜五年(七七四)正月七日、從五位下より從五位上に敍される。
『續日本紀』寶龜五年正月丁未
[授]從五位下三開王・三方王、並從五位上。
寶龜五年(七七四)三月五日、備前守に任じられる。
『續日本紀』寶龜五年三月甲辰
[以]從五位上三方王爲備前守。
寶龜八年(七七七)正月七日、正五位下に敍される。
『續日本紀』寶龜八年正月庚申
授從四位下鴨王從四位上。從五位上三方王正五位下。從五位下東方王、山邊王、田中王並從五位上。
寶龜十年(七七九)正月二十三日、正五位下から從四位下に敍される。
『續日本紀』寶龜十年正月甲子
[授]正五位下三方王從四位下。從五位下飯野王從五位上。正六位上塩屋王從五位下。
天應二年(七八二)閏正月十八日、氷上川繼の謀反に坐し、日向介に左遷される。
『續日本紀』延暦元年閏正月辛丑
 勅大宰府。氷上川繼謀反入罪。員外帥藤原朝臣濱成之女爲川繼妻、思爲与黨。因茲解却濱成所帶參議并侍從。但員外帥如故。左降正五位上山上朝臣船主爲隱伎介。從四位下三方王爲日向介。以並黨川繼也。
天應二年(七八二)三月二十六日、妻 弓削女王らと共に乘輿を厭魅した大罪に坐したが、詔により死一等を減刑され、妻と共に日向に配流される。
『續日本紀』延暦元年三月戊申
從四位下三方王、正五位下山上朝臣船主、正五位上弓削女王等三人、坐同謀魘魅乘輿、 詔減死一等、三方、弓削並配日向國(弓削三方之妻也)。船主配隱伎國。自餘与黨亦據法處之。
 
【配偶】
 ○ 弓削女王
 三原王の女子。
 天武天皇三世王(もと崇道盡敬皇帝二世)
 
【文獻等】
稿本天武天皇實録』四三八〜四四二頁「皇曾孫御方王」
竹内理三/山田英雄/平野邦雄 編 『日本古代人名辭典』第六卷 1642頁上 「三方王」
竹内理三/山田英雄/平野邦雄 編 『日本古代人名辭典』第六卷 1642頁中・下 「三形王」



 
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公開日時:2022.05.27.

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