三使王


前頁 「 三 [三使@]
『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[三使A]

フレームなし


三使王
 
 
御使王に同じ。
『日本古代人名辭典』「三使王」は、天平九年二月に從五位下に敍された三使王と同一人と作す。
 
【出自】
 舍人親王(崇道盡敬皇帝)の孫。
 天武天皇三世王
 のち崇道盡敬皇帝(舍人親王)二世王
稿本天武天皇實録』四四五頁〔按〕
御使王、續日本紀或ハ三使王ニ作ル、其父ヲ明カニセザルモ、天平寶字三年六月、舍人親王追尊ノ際ノ敍位ニ見ルニ、御方、御使、宗形ノ三王ハ親王ノ王孫ト推定爲シ得ルヲ以テ、其記載ノ順序ニ從ヒテ此ニ録ス、尚ホ本朝皇胤紹運録ニ王ヲ舍人親王ノ王子ト爲スハ誤リナルベシ、
 
【經歴】
天平二十一年/天平感寶元年(七四九)四月十四日、大佛殿行幸の日、天武天皇の三世王として、無位から從五位下に敍される。
『續日本紀』天平勝寶元年四月丁未
 天皇幸東大寺、御大盧舍那佛前殿。大臣以下百官及士庶、皆以次行列。 詔授左大臣從一位橘宿祢諸兄正一位。以大納言從二位藤原朝臣豊成拜右大臣。授從五位下市原王從五位上。无位三使王、岸野王、三形王、倭王、額田部王、多治比王、厚見王、葛木王、大坂王、出雲王、三河王、長嶋王、高嶋王並從五位下。
天平寶字三年(七五九)六月十六日、淡路廢帝(淳仁天皇)の父 舍人親王が崇道盡敬皇帝と追尊されたことにともない、崇道盡敬皇帝の二世王として、從五位下から從四位下に敍される。
『續日本紀』天平寶字三年六月庚戌
 帝御内安殿、喚諸司主典已上。 詔曰。現~大八洲所知倭根子天皇詔旨宣詔親王々臣百官人等天下公民衆聞食宣。比來太皇大后御命以語宣。太政之始人心未定在可波、吾子爲皇太子、先奉昇於君位畢、諸意靜了奈牟傍上乎波牟止氐奈母閇氐ツ流。然今君坐御宇事日月重。是以先考追皇爲、親母大夫人爲、兄弟姉妹親王[止]与止仰給、貴御命頂受給、歡利氐、掛畏我皇聖太上天皇御所奏給倍波、奏世止ヘ宣。朕一人昇賜治賜部流厚恩乎母、朕世尓波酬盡奉事難。生子八十都岐尓自仕奉報倍久良止【之】止、夜晝恐麻里、伊夜uu朕私父母波良何良麻氐尓可在状任上賜治賜事甚恐。受賜事不得世止。朕又念。前聖武天皇皇太子定賜比氐天日嗣高御座昇賜物伊何尓可私父母兄弟及事得、甚恐。進不知、退不知伊奈奏。雖然多比重。吾加久不申成奈波、敢申人者不在。凡人子去禍蒙福麻久欲爲、爲親尓止奈利。此大取々【「々」衍】ハ持、親王送奉江【部】御命受給利氐奈母加久爲。故是以自今以後、追皇舍人親王、≫i崇道盡敬皇帝、當麻夫人稱大夫人、兄弟姉妹悉稱親王宣天皇御命衆聞食宣。辞別宣。朕一人乃未也之岐御命受賜。卿等庶共喜牟止弖奈母一二治賜倍岐家々門々人等冠位上賜治賜久止宣 天皇御命衆聞食宣。又御命坐。大保乎波多他止能味波不念、朕父、復藤原伊良豆賣乎波婆々止奈母念。是以治賜武等倍止、遍重、默在牟止礼止毛、止事不得。然此家止毛波朕波良何良在物乎夜、親王多知治賜治不賜在牟止弖奈母、汝[等]冠位上賜治賜。又此家自久母藤原卿等乎波掛畏聖天皇御世重於母自自門【氏門】波【止】慈賜上賜來奈利。今又无過仕奉人乎波慈賜治賜不忘賜之止宣 天皇御命衆聞食宣」。從三位船王、池田王並授三品。正四位上諱【白壁王】從三位。從五位下御方王、御使王、無位林王、笠王、宗形王並從四位下。從五位下河内王從五位上。
天平寶字三年(七五九)十一月五日、大膳大夫となる。
『續日本紀』天平寶字三年十一月丁卯
[以]從四位下御使王爲大膳大夫。
天平寶字四年(七六〇)五月七日、卒去。時に大膳大夫從四位下。
『續日本紀』天平寶字四年五月丙申
大膳大夫從四位下御使王、命婦從四位下縣犬養宿祢八重並卒【「卒」印本作「授從四位上」】。
 
【子女】
 □
三直王  のち山邊眞人[三直]
 □ 鷹取王(×庸取王のち山邊眞人[鷹取]
 □ 三宅王  のち山邊眞人[三宅]
 ○ 畝火女王 のち山邊眞人[畝火]
 ○ 石部女王 のち山邊眞人[石部]
 
【文獻等】
稿本天武天皇實録』四四五〜四四七頁「皇曾孫御使王」
竹内理三/山田英雄/平野邦雄 編 『日本古代人名辭典』第六卷 1650頁上 「三使王」


 
次頁 「 三 [三室@]
『 親王・諸王略傳 』 目次 「 さ 」  『 親王・諸王略傳 』 の冒頭
『 日本の親王・諸王 』 の目次


公開日時:2022.06.01.

Copyright: Ahmadjan 2022.5 - All rights reserved.