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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[齊章]
 
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□ 齊章王
 のち平朝臣齊章
 
【出自】
 系譜未詳。
 
【經歴】
齊章王
延長八年(九三〇)十一月十四日までに、從五位下に敍される。
無位から從五位下に直敍されたのであれば、齊章王は三世王である。
延長八年(九三〇)十一月十四日、朱雀天皇即位由奉幣の使王を勤仕。時に散位。
『大日本史料』第一編補遺(別冊四)六四頁所引 京都御所東山御文庫記録丙十二所收『即位雜例條々』兼日 上
一、由奉幣事
 ・・・・・
 延長 (八年十一月十四日、即位之由告伊勢大~宮。但不幣。大納言藤原仲平卿著左仗座、召散位齊章王、仰事由被發遣於伊勢太~宮)
京都御所東山御文庫記録丙十五所收『即位條々』兼日
承平六年(九三六)十二月十六日までに内膳正に任じられる。
承平六年(九三六)十二月十六日、荷前使を勤仕すべく待賢門に參候したが、病の由を申上した。
『九條殿記』荷前 承平六年十二月十六日庚子
・・・・・ 外記申云。只今左馬頭惟扶朝臣【平】・備中權守篤望王・内膳正齊章王・圖書頭時範【安倍】等候待賢門、申病由云々。・・・・・
平朝臣齊章
承平六年(九三六)十二月十六日以後、天慶五年(九四二)以前に、平朝臣を賜姓される。左京一條一坊戸主。
九條家本『延喜式』巻十裏文書「主税寮出雲國正税返却帳」(天慶五年)(『平安遺文』一一六七頁下
從五位下平朝臣齊章、志茂平奇【吾】位祿貳佰拾肆斛七斗肆升壹合
『東寶記』第八「僧寶」下草稿
天慶六年(九四三)十二月二十四日までに兵庫頭に任じられる。
天慶六年(九四三)十二月二十四日、日本紀竟宴において「得草祖草野姫」の題で、「としごとの はるやむかしの かやのひめ のだもやまだも くさのもゆらむ」と和歌を詠んだ。時に兵庫頭從五位下。
『日本紀竟宴和歌』天慶六年(『大日本史料』第一編之八、天慶六年十二月二十四日條所引
  得草祖草野姫             兵庫頭從五位下平朝臣齊章
度志古度乃、波留也无加芝之、加也之比女、野丹毛也萬丹毛、九佐之毛由良无
天暦九年(九五五)七月十七日までに從五位上に敍される。
『東寶記』第八「僧寶」下草稿
天暦九年(九五五)七月十七日、「戸口」の平朝臣眞光が得度したが、時に散位從五位上。
『東寶記』第八「僧寶」下草稿
太政官苻治部省
 應得度東寺當年分度者四人事
  惟原朝臣連枝年卅二(左京五条一坊戸主從五位下同姓典相戸口。師主律師法橋上人位延鑒
  ・・・・・
  平朝臣眞光年十七(左京一条一坊戸主散位從五位上同姓齊章戸口。師主東大寺傳燈大法師位寛救
  ・・・・・
右得彼寺去二月六日解偁、件寺年分度者依例試定、言上如件者、省宜承知、依件行之、苻到奉行。
右少辨菅原朝臣        左少史我孫宿祢
   天暦九年七月十七日
『大日本史料』第一編之十、天暦九年七月十七日「東寺年分限度者ヲ度ス」、一八二〜一八三頁
 
【戸口】
平朝臣眞光 
齊章王(平齊章)の男子と考えられる。
九三九年(天慶二年)生。
出生が、齊章王(平齊章)の賜姓より以前か以後か、未詳。
東大寺傳燈大法師位寛救の弟子となる。
天暦九年(九五五)七月十七日、東寺の天暦九年分度者として得度。十七歳。
『東寶記』第八「僧寶」下草稿


 
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更新日時: 2008.05.01.
公開日時: 2008.04.25.


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