相応院宮恒助法親王
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心蓮院本『仁和寺諸院家記』「鳴瀧相應院」「宣助(改恒助)」(『仁和寺史料 寺誌編(一)』一七〇頁)
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惠山書寫本『仁和寺諸院家記』上「相應院」「宣助法親王」(『仁和寺史料 寺誌編(一)』二六七頁)
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藤原季衡[大宮右大臣]の猶子となる。 | ||||||||
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落飾し、仁和寺相應院に入室。 | ||||||||
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恒助と改名。 | ||||||||
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勝寶院道意大僧正の資となり、附法を受ける。 | ||||||||
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後宇多院より附法を重ねて受ける。 | ||||||||
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藤原季衡猶子を辭し、永和二年(一三七六)九月四日、親王となる。
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『稿本龜山天皇實録』一〇八三〜一〇八四頁「皇孫恒助親王」 |
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