恒基王
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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
恒
[恒基@]
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恒基王
【出自】
系譜未詳。
二世王と推定される。
【經歴】
●
元慶元年(
八七七
)十一月二十一日、大嘗會敍位において、無位から從四位下に敍される。
◎
尊經閣文庫所藏『類聚國史』所引『日本三代實録』元慶元年十一月廿一日戊午(和田英松編『國書逸文』)
无位恒基王、雅望王敍從四下。
●
元慶二年(
八七八
)十一月三日、伊勢例幣の
使王
を勤仕。時に散位從四位下。
◎
『日本三代實録』元慶二年十一月三日甲午
遣散位從四位下恒基王、向伊勢太~宮奉幣。去九月十一日有穢停廃故、延而奉之。
◎
『類聚國史』巻三「伊勢太~」元慶二年十一月三日甲午
●
元慶五年(
八八一
)正月二十八日、
奉迎伊勢齋内親王使
を勤仕。時に散位從四位下。
◎
『日本三代實録』元慶五年正月廿八日丁丑
是日、遣散位從四位下恒基王、左少弁正五位下兼行大學頭巨勢朝臣文雄等、齎輦輿腰輿資具等、向伊勢大~宮、迎前齋内親王。・・・・・
◎
『類聚國史』巻四「伊勢齋宮」元慶五年正月廿八日丁丑
●
元慶七年(
八八三
)正月七日、從四位下から從四位上に敍される。
◎
『日本三代實録』元慶七年正月七日甲戌
[授]從四位下行山城權守恒基王、從四位上。无位良末王、從四位下。從四位下行攝津守平朝臣實世、无位源朝臣長淵、並從四位上。・・・・・ 無位源朝臣貞恒 ・・・・・ 並從五位下。
●
元慶七年(
八八三
)十二月十一日、卒去。
◎
『日本三代實録』元慶七年十二月十一日癸卯
從四位上行山城權守恒基王卒。
【子女】
○(女子)
藤原朝臣惟岳の室
藤原朝臣倫寧の母
右大將
藤原朝臣道綱の母(
『蜻蛉日記』作者
)の祖母
◎
『尊卑分脈』攝家相續孫、高經の子 惟倫の子
伊世守
河内守
上総守
陸奧守
【前本・脇本・内閣文庫本無】
常陸守
丹波守
右兵佐
蔵 右馬助
使 トモヤス
┬─
倫 寧
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│
母山城守恒基王女
│
貞元二 月 日卒
│
哥人
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公開日時: 2021.10.02.
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