潔世王
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『日本三代實録』貞觀九年正月十七日戊午
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八二〇年(弘仁十一年)生。
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文章生となる。 | |||
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貞觀二年(八六〇)十一月十六日、無位から從四位下に敍される。四十一歳。
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貞觀五年(八六三)二月十六日、大學頭となる。四十四歳。
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貞觀八年(八六六)七月二日、高山祭使として發遣される。時に從四位下行大學頭。
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貞觀十年(八六八)二月二十五日、山陵使として田邑御陵に發遣される。時に從四位下行大學頭。
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貞觀十一年(八六九)三月四日、源朝臣信に正一位を贈位する使として、源朝臣生と共に遣わされる。時に從四位下行大學頭。
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從四位上に敍される。 | |||
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民部大輔に任じられる。 | |||
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貞觀十七年(八七五)七月三日、有名王と共に、楯列山陵に祈謝使として遣わされる。時に從四位上行民部大輔。
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山城守となる。
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元慶六年(八八二)四月二十八日、卒去。六十三歳。時に散位從四位上。
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幼少より史傳を學び、文章生に補され、大學頭となった。
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『稿本桓武天皇實録』四二七〜四二九頁「皇孫潔世王」 |
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