光宮 録子女王


前頁 「 光 [光A]
『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[光B]

フレームなし

工事中

光宮」 てるのみや
 
録子女王
 
【法號】
 「微妙光院
 
【出自】
 邦家親王[伏見殿]の[五]女。
 
【母】
 藤原朝臣景子 ひろこ
 邦家親王の御息所。「織君」
 藤原朝臣政熈[鷹司]の十九女。
 
【經歴】
天保十年(一八三九)正月十三日寅刻、誕生。
『伏見宮日記』天保十年正月十三日
天保十年(一八三九)正月十九日、七夜。「光宮(てるのみや)」と稱號が定められる。
『伏見宮日記』天保十年正月十九日
天保十三年(一八四二)十二月二十五日、喰初、髪置、色直。四歳。
『伏見宮日記』天保十三年十二月二十五日
天保十四年(一八四三)十一月三十日、深曾木。五歳。
『伏見宮日記』天保十四年十一月晦日
嘉永元年(一八四八)四月二十三日、紐直。十歳。
『伏見宮日記』嘉永元年四月廿三日
嘉永六年(一八五三)正月二十二日、疱瘡の症状を發す。
『伏見宮日記』嘉永六年正月廿七日
『伏見宮日記』嘉永六年二月三日
『伏見宮日記』嘉永六年二月四日
嘉永六年(一八五三)二月九日戌半刻、疱瘡のため死亡。十五歳。喪を秘し、養生の體にて相國寺大通院に遺體を移す。
『伏見宮日記』嘉永六年二月九日
『系圖綜覽』所收『皇室系譜』「伏見宮」
嘉永六年二月九日薨、號微妙光院、十九歳。
嘉永六年(一八五三)二月十一日寅刻「薨去」、舟入。「微妙光院」と法號が定められる。
『伏見宮日記』嘉永六年二月十一日
嘉永六年(一八五三)二月十二日、入棺。
『伏見宮日記』嘉永六年二月十二日
嘉永六年(一八五三)二月十四日、葬送。
『伏見宮日記』嘉永六年二月十四日
 
【墓所】
 相國寺内伏見宮墓地
 
工事中 【文獻】

『系圖綜覽』所収『皇室系譜』「伏見宮」九六頁
平成新修 旧華族家系大成 上巻』四五頁
『詰所系圖』「伏見殿」には不見。


 
次頁 「 光 [光C]
『 親王 ・ 諸王略傳 』 目次 「 く 」  『 親王 ・ 諸王略傳 』 の冒頭
『 日本の親王 ・ 諸王 』 の目次


公開日時: 2013.05.24.

Copyright: Ahmadjan 2013.5 - All rights reserved.