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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[恭仁子]
 
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恭仁子女王 くにこ
 のち二條恭仁子 にでう(にじょう) くにこ
 
【出自】
 
多嘉王の三女。
 朝彦親王[久邇宮]の孫。
 
【母】
 靜子 しづこ
 多嘉王妃
 水無瀬忠輔の一女。
 
【經歴】
大正六年(一九一七)五月十八日生。
恭仁子女王
大正六年(一九一七)五月二十四日命名。
『法令全書』大正六年五月 告示 「宮内省告示第七號(官報 五月二十五日)」
五月十八日午後四時誕生セラレタル多嘉王殿下ノ王女子名ヲ恭仁クニ子ト命セラル
    大正六年五月二十四日              宮内大臣 子爵波多野敬直
二條恭仁子
昭和十四年(一九三九)四月二日、二條弼基(公爵)に降嫁。二十三歳。
昭和二十二年(一九四七)五月三日、日本國憲法の施行により、華族の身位を失う。
平成十四年(二〇〇二)七月六日、心不全のため死去。享年滿八十五歳。
 
【配偶】
 二條弼基 にじょう たねもと
 二條正麿(男爵)の三男。
 工學博士
 明治四十三年(一九一〇)六月十九日生。
 昭和五年(一九三〇)九月一日、二條厚基(關東大地震による海嘯により行方不明となる)の跡を繼承して公爵を承襲。
 昭和二十二年(一九四七)五月三日、日本國憲法の施行により、華族(公爵)の身位を失う。
 郵政省電波監理局次長
 松下電産技術研究所參與
 昭和五十一年(一九七六)三月十六日、伊勢~宮大宮司に任じられる。
 昭和六十年(一九八五)八月二十八日、死去。
 
【子女】
 二條昌子 のち梅溪昌子
 ※『平成新修 旧華族家系大成 上巻』 二五六〜二五七頁
 二條和子 のち飯田和子
 二條基敬 にじょう もとゆき
 
【文獻等】
平成新修 旧華族家系大成 下巻』 三一九〜三二三頁


 
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公開日時: 2010.07.08.

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