桂宮 宜仁親王
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崇仁親王妃 高木正得の二女。 |
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昭和二十三年(一九四八)二月十一日、誕生。 | ||||||
宜仁親王 | |||||||
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昭和二十三年(一九四八)二月十七日、「宜仁(よしひと)」と命名。
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昭和四十三年(一九六八)二月二十七日、生年式。
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昭和四十六年(一九七一)三月、學習院大學法學部政治學科を卒業。 | ||||||
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昭和四十六年(一九七一)、キャンベラのオーストラリア國立大學大学院に留學。 | ||||||
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昭和四十八年(一九七三)十二月、オーストラリアより歸國。 | ||||||
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昭和四十九年(一九七四)、日本放送協會(NHK)に囑託として勤務(昭和六十年(一九八五)まで)。 | ||||||
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日・豪・ニュージーランド協會總裁(日豪協會總裁、日本新西蘭協會總裁)。 | ||||||
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心筋症の持病があった。 | ||||||
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昭和五十七年(一九八二)十月、キャンベラ豪日協會創立十周年記念式典に臨席のためオーストラリアを訪問、次いでニュージーランドを訪問。
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昭和六十二年(一九八七)二月に薨去した宣仁親王[高松宮]から、大日本農會總裁、大日本山林會總裁、日本工藝會總裁、日本漆工協會總裁を受け繼ぐ。 | ||||||
宜仁親王[桂宮] | |||||||
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昭和六十三年(一九八八)一月一日、「桂(かつら)宮」の稱號を賜わり、桂宮家を創設。
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昭和六十三年(一九八八)五月二十六日、桂宮邸で倒れ、昏睡状態になり、東京都立廣尾病院に入院し、急性硬膜下血腫と診斷され、手術を受ける。 | ||||||
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平成三年(一九九一)十一月二十一日、公務に復歸。車椅子に乘って行動。 | ||||||
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平成九年(一九九七)六月、「大相撲オーストラリア公演(メルボルン場所,シドニー場所)」の名譽總裁としてオーストラリアに出張。 | ||||||
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平成二十年(二〇〇八)九月、敗血症のため東京大學醫學部附屬病院に入院。以後、入退院を繰り返し、鬪病生活を送った。 | ||||||
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平成二十六年(二〇一四)六月八日午前十時五十五分、急性心不全のため搬送先の東京大學醫學部附屬病院に於いて薨去。六十六歳。 |
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学業は「きわめて優秀」、運動は「何でもこなされた」が、學習院中等科の時に精神的衝撃を受け、「その一件以来、変わってしまった」という。
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宜仁親王の一家創設は、宣仁親王[高松宮]の盡力によるものであった。
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『平成新修 旧華族家系大成』上巻 二一頁 |
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