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文政四年(一八二一)二月九日申刻、親王宣下。諱「悦仁(としひと)」
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『毫埃』文政四年二月九日
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『洞中執次詰所日記』文政四年二月九日庚寅
一、高貴宮樣今夜親王宣下。御諱悦仁。
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『禁裏執次詰所日記』文政四年二月九日庚寅
一、今日(申刻)高貴宮立親王宣下陣儀。
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一、高貴宮樣御諱 悦仁(登志比登)
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『忠言卿傳奏記』文政四年二月九日庚寅
一、高貴宮立親王宣下云々。奉行職事光成朝臣。
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一、親王御諱悦仁(登志比登)(・・・・・)
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『大宮御所女房日記』文政四年二月九日
一、御所より三條殿御使にて、高貴宮樣よほど御ふれゐにつき、御みまひ仰られ候。御使長谷・冷泉殿。其日こなたより御肝煎御あいさつ御使にまいられ候。
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少外記平田家記録 K61-54 『少外記平田家日次記』文政四年二月九日庚寅
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文政四年(一八二一)二月十日戌刻、「御養生」のため九條家の土手町河原御殿に移る。
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『洞中執次詰所日記』文政四年二月十日辛卯
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『禁裏執次詰所日記』文政四年二月十日辛卯
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『光格天皇日次案』文政四年二月十日辛卯
高貴宮爲御違例御保養、御退出于九條家別殿(戌刻)。
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『伏見宮日記』文政四年二月十日
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『忠言卿記』文政四年二月十日辛卯
一、高貴宮御違例ニ付、今晩九條家屋舗江御退出候旨、池尻前中納言江申入候。
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『職寅記』文政四年二月十日辛卯
傳奏廣橋殿より、高貴宮樣御違例ニ付爲御養生今晩九條樣土手町御屋敷え被爲移候觸状到來也。
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文政四年(一八二一)二月十一日未半刻「薨逝」。六歳。
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『忠言卿傳奏記』文政四年二月十一日壬辰
一、午半刻許退出。兩人同伴、高貴宮【悦仁親王】祗候。以取次御容躰伺申。不被爲勝之趣。第三度御容躰書差出。小時今日未半刻薨去之旨、冷泉局言上。兩人奉即刻散退。
一、兩人參内。御容躰書附、園池前宰相、未半刻薨去之旨言上。自今日三ヶ日廢朝可被仰出哉伺定。自今日三ヶ日廢朝被仰出。訖當參兩役之輩伺御機嫌。以表使申入御返事之後、退出。
一、參院三ヶ日廢朝被仰出候旨、附日野言上。以表使伺御機嫌了。
一、參大宮伺御機嫌(以表使申入)。且御肝煎依參會依高貴宮薨去、自今日三ヶ日廢朝、洞中三ヶ日被停物音之旨、演達以状可申之處、依當參面展候旨申了。
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『洞中執次詰所日記』文政四年二月十一日壬辰
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『禁裏執次詰所日記』文政四年二月十一日壬辰
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『實久卿記』文政四年二月十一日壬辰
リ。親王【悦仁親王】不被爲御養生、今未半剋薨去也。御年六歳。依之自今日三ヶ日廢朝。洞中・大宮等被止物音了。
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『光格天皇日次案』文政四年二月十一日壬辰
高貴宮【悦仁親王】、今日未半刻薨去。依之自今日到十三日三箇日、洞中被停物音。爲勅使池尻前中納言參上(依高貴宮薨去也)。爲御使左兵衞督參内(同上)。
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『職寅記』文政四年二月十一日壬辰
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『大宮御所女房日記』文政四年二月十一日
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『稿本光格天皇實録』一八二九〜一八三〇頁 文政四年二月十一日「悦仁親王、薨ズ、仍ツテ是日ヨリ三箇日間、物音ヲ停メラル、」
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文政四年(一八二一)二月二十日、追號を「瑠璃光院」と定められる。
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『洞中執次詰所日記』文政四年二月廿日辛丑
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『禁裏執次詰所日記』文政四年二月廿日辛丑
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『忠言卿記』文政四年二月二十日辛丑
一、高貴宮御追號瑠璃光院御治定之旨、院傳奏兩卿被書達訖(入道濟仁親王撰進云々)。
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文政四年(一八二一)二月二十一日亥刻、入棺。
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『禁裏執次詰所日記』文政四年二月廿一日壬寅
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『忠言卿記』文政四年二月二十一日壬寅
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文政四年(一八二一)二月二十七日、泉涌寺に葬られる。號「瑠璃光院宮」
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『禁裏執次詰所日記』文政四年二月廿七日戊申
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『毫埃』文政四年二月廿七日
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『忠言卿記』文政四年二月二十七日戊申
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『職寅記』文政四年二月廿七日戊申
今日瑠璃光院宮泉涌寺え御葬送也。藏人方よりは參勤等之事無之也。
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『伏見宮日記』文政四年二月廿八日戊申
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『御系譜』
皇子。御母皇后宮欣子。文化十三年正月二十八日寅刻降誕(去十二月二十五日、皇后宮御着帶、渡御于桂芳坊、御産皇子)。二月五日、號高貴宮旨被仰出。・・・・・ 文政四年二月九日親王宣下(陣)。御諱悦仁。・・・・・ 十一日薨(六歳)。・・・・・ 奉號瑠璃光院宮。
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文政四年(一八二一)五月二十一〜二十二日、泉涌寺において百箇日法會が行われる。
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『光格天皇日次案』文政四年五月廿一日庚午
朝間雨、午刻後陰、夕景屬リ。今日、瑠璃光院宮【悦仁親王】御百箇日逮夜、於泉涌寺被修御法會。
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『光格天皇日次案』文政四年五月廿二日辛未
陰、夕陽屬リ。
今日、瑠璃光院宮【悦仁親王】百箇日、於泉涌寺被修御法會。
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『稿本光格天皇實録』一八三四〜一八三五頁 文政四年五月二十二日「昨今兩日ニ亙リ、泉涌寺ニ於テ瑠璃光院宮ノ百箇日御法會ヲ行ハル、御代參トシテ上冷泉爲全ヲ泉涌寺ニ遣サル、」
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