永野王
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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
永
[永野]
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永野王
【出自】
系譜未詳。
四世王以下。
【經歴】
●
弘仁十四年(
八二三
)十一月二十日、[正六位上から]從五位下に敍される。
◎
『類聚國史』卷第九十九「職官部」四「叙位」四、弘仁十四年十一月庚午
[授]正五位下原王正五位上。從五位下石作王從五位上。□□【正六位上】永野王、占野王從五位下。
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承和元年(
八三四
)五月二十二日までに、常陸[權]介に任じられる。
●
承和元年(
八三四
)五月二十二日、貞子内親王の薨逝に際し、遣わされて喪事を監護する。
◎
『續日本後紀』承和元年五月壬申
无品貞子内親王薨。後太上天皇第一【ママ】皇女。而贈皇后所誕育也。遣勘解由長官從四位下藤原朝臣雄敏、兵部少輔正五位下安倍朝臣安仁、常陸介從五位上永野王、左京亮從五位下吉田宿祢書主等、監護喪事。
●
承和二年(
八三五
)正月七日、從五位上から正五位下に敍される。
◎
『續日本後紀』承和二年正月
[詔授]從五位上永野王正五位下。從五位下三繼王、津守王並從五位上。无位嶋江王、正六位上廣坂王並從五位下。
●
承和三年(
八三六
)五月二十二日、諸陵陵幣帛使を勤仕。時に常陸權介正五位下。
◎
『續日本後紀』承和三年五月庚申
爲遣唐使奉山階・田原・柏原・神后皇后等陵幣帛。曰。 天皇大命以、掛畏
岐
山階御陵
尓
恐
牟
恐
美毛
申賜
部止
白
久
。參議正四位下藤原朝臣常嗣等
乎
爲大使
氐
遣唐國使人
止母
路間無風波之難
久
慈賜
比
矜賜
比氐
平
久
可太良可
尓
歸
志
賜
止志氐
參議從四位上文室朝臣秋津、常陸權介正五位下永野王、内舍人正六位上良岑朝臣清風等
乎
差使
氐
恐
牟
恐
美毛
申賜
久止
申。
●
承和六年(
八三九
)二月十八日、下野守に任じられる。
◎
『續日本後紀』承和六年二月庚午
正五位下永野王爲下野守。
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更新日時:
2022.02.19.
公開日時:
2003.08.14.
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