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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[永崇A]
 
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【僧】永崇
 または
永宗
 説外永崇
 大聖寺宮
『尼門跡の言語生活の調査研究』所收『御由緒書 大聖寺門跡』によると大聖寺第十五世。
谷口陽子『大聖寺控』によると大聖寺第十八世。
第十八世 陽徳院宮説外永崇尼大禅師 後陽成院の皇女
 
【幼稱】
 「アテノ宮」
 
【稱號】
 「東御所」
大聖寺より退隱の後、東御所に居したため。
 
【法號】
 「陽コ院宮」または「養コ院宮
 
【出自】
 後陽成院の女子。
 
【生母】
 平朝臣時子
「平内侍」
平朝臣時慶[西洞院]の女子。
掌侍
 
【經歴】
「アテノ宮」
慶長十四年(一六〇九)五月二日生。
『時慶卿記』慶長十四年五月二日
卯刻、姫宮御誕生。・・・・・
『通誠公記』元祿三年七月廿日條に「御年八十四才」より逆算すると、一六〇七年(慶長十二年)生となるが、「八十四」は「八十餘」とあるべきものか。
慶長十八年(一六一三)十一月二十日、着裳。
『言緒卿記』慶長十八年十一月廿日甲戌
一、仙洞【後陽成院】アテノ宮サマ御裳着也。・・・・・
元和六年(一六二〇)、大聖寺に入寺、文高の附弟となる。
『泰重卿記』元和六年十月五日己酉
大聖院【寺】殿【文高】へ御樽・こんにやく(百丁)・牛房【ゴボウ】(十束)・昆布(二束)。御弟子御所【永崇】御入室了、御祝義致進上候。・・・・・
『尼門跡の言語生活の調査研究』所收『御由緒書 大聖寺寺門跡』には「寛永元年四月十一日入室得度」とあり、類從本『皇胤紹運録』等には「寛永元年四月廿一日入寺得度」とある。
説外永崇
寛永元年(一六二四)四月十一日、得度。
類從本『皇胤紹運録』は「寛永元年四月廿一日入寺得度」と作す。
景愛寺住持。紫衣を拜領する。
説外永崇 「陽コ院宮」
正保三年(一六四六)、大聖寺より退隱。東御所に居す。
類從本『皇胤紹運録』
元祿三年(一六九〇)七月十九日、死去。八十二歳。
『通誠公記』元祿三年七月廿日條による。『基量卿記』元祿三年七月廿一日條、『尼門跡の言語生活の調査研究』所收『御由緒書 大聖寺寺門跡』等によると、七月二十日薨去。
『通誠公記』元祿三年七月廿日
傳聞。昨日陽コ院宮(大聖寺先住。後陽成院皇女)薨去。御年八十四才。痢病云々。今曉喝食宮(仙洞【靈元院】皇女。實者房輔公【鷹司】息女。御猶子也)被薨。五才云々
『基量卿記』元祿三年七月廿一日
傳聞。昨夕養コ院宮薨去。大聖寺宮御隱居。八十才余。・・・・・
『尼門跡の言語生活の調査研究』所收『御由緒書 大聖寺門跡
当寺第十五世陽徳院説外永宗宮
後陽成天皇ノ皇女、母儀平内侍局、西洞院家ノ出。慶長十四年五月二日降誕。寛永元年四月十一日入室得度。紫衣ヲ拝領ス。元祿三年七月二十日薨ス。寿八十二。
元祿三年(一六九〇)七月二十二日、歡喜寺に葬られる。
『詰所系圖』、後陽成院の子「皇女」
大聖寺。永崇。[退院後號養コ院]。母平内侍局時子、西洞院宰相時慶卿女。慶長十四年五月二日生。元祿三年七月廿日寂(八十二歳)。號陽(養)コ院。同廿二日葬于歡喜寺。
類從本『皇胤紹運録』、後陽成院の子「大聖寺皇女」
法名永崇。號東御所。母平内侍、西洞院宰相時慶卿女。
慶長十四年五月二日誕生。寛永元年四月廿一日入寺得度。正保三年辭職、居東御所。元祿三年七月廿日薨八十二。廿二日葬于大歡喜寺。號陽コ院宮。
 
【墓所】
 「大聖寺宮墓地」
京都市上京區鶴山町歡喜寺内
 
【逸事等】
元祿三年(一六九〇)四月二十九日に宮中において勾當内侍(十九歳)に「不法進退」があり、五月六日、勾當内侍は宮中より出で、父 平朝臣時成[西洞院]宅に「押篭」られ、五月九日、出家した。時成とその子 時光[西洞院]・範成[長谷]は、「遠慮」、次いで「解官閉門」に處された。しかし、生母が西洞院家の出身であった陽徳院宮の遺言が聴き屆けられ、九月十四日、時成・時光・範成は閉門を解かれ、本官に復した。
『通誠公記』元祿三年五月七日
『通誠公記』元祿三年五月九日
『通誠公記』元祿三年九月十四日
傳聞。昨夜、時成卿【西洞院】・時光【西洞院】・範成【長谷】等閉門御免、各復本官云々。於息女者被召歸時成卿亭云々。故養徳院宮依被歎思召之旨御遺言云々。時成卿彼宮有由緒。
元祿五年(一六九二)十二月一日、青蓮院宮里坊からの出火の延燒により、陽徳院宮の舊殿が燒亡した。
『通誠公記』元祿五年十二月一(乙亥)日【火事】
抑今日燒所、自青蓮院宮【尊證親王】里坊出火、清閑寺【煕定】、大聖寺宮【永秀】、養【陽】徳院宮【永崇】旧殿、・・・・・ 等燒亡。
【文獻等】
清水正健『皇族考證』第伍巻、二〇一〜二〇二頁
井野口有一・堀井令以知・中井和子『尼門跡の言語生活の調査研究』(東京、風間書房、昭和四十年(一九六五)八月)、二五頁
谷口陽子『大聖寺控 ── 京の尼門跡の聴き書など ──』(私家版。東京、昭和六十一年(一九八六)九月二版)、三一頁
服部早苗/西野悠紀子/伴瀬明美/菅原正子/久保貴子『歴史のなかの皇女たち』(東京、小学館、二〇〇二年十二月)「尼門跡表」大聖寺、二七一頁
服部早苗/西野悠紀子/伴瀬明美/菅原正子/久保貴子『歴史のなかの皇女たち』(東京、小学館、二〇〇二年十二月)「皇女一覧表」、二五一頁


 
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更新日時: 2004.03.04.
公開日時: 2003.09.22.


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