有智子内親王


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[有智子]

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工事中

有智子内親王
 賀茂齋院
(一)
 
【出自】
 嵯峨天皇の第二内親王。
 
【母】
 交野女王
 
【經歴】
八〇七年(大同二年)生。
工事中 弘仁元年(八一〇)、最初の賀茂齋院に卜定。四歳。
弘仁十四年(八二三)二月二十八日、無位より三品に敍される。
『類聚國史』巻九十九「職官」四「叙位」四、弘仁十四年二月癸丑
幸无品有智子内親王山庄云々。是日、内親王授三品。從五位下藤原朝臣常房・巨勢朝臣識人從五位上。正六位上文室朝臣永年從五位下。
『日本紀略』弘仁十四年二月癸丑
幸無品有智子内親王山庄。上【嵯峨天皇】欣然賦詩。群臣獻詩者衆。賜祿有差。是日、親王授三品。又有授位之人。
『續日本後紀』承和十四年十月戊午
天長八年(八三一)十二月八日、賀茂齋院より退下の由が賀茂に奉告される。
『日本紀略』天長八年十二月壬申
賀茂齋内親王齡老身安依令退出、時子女王卜定之由、被申賀茂社、并奉幣。
嵯峨西庄に居住する。
『續日本後紀』承和十四年十月戊午
天長十年(八三二)三月六日、二品に敍される。
『續日本後紀』天長十年三月癸巳
是日授三品有智子内親王二品。
承和元年(八三四)二月三日、伯耆國會見郡の荒廢公田、百二十町を賜わる。
『續日本後紀』承和元年二月甲申
伯耆國會見郡荒廢田百廿町、賜有智子内親王。
『續日本後紀』嘉祥元年八月壬寅【十六日】
勅。伯耆國會見郡路下十一條荒廢公田百廿町、去天長七【十一】年賜有智子内親王家。宜割八十町、賜親子内親王。
承和十四年(八四七)十月二十六日、薨逝。四十一歳。
『續日本後紀』承和十四年十月戊午
二品有智子内親王薨。遺言薄葬、兼不受葬使。内親王者 先太上天皇【嵯峨天皇】幸姫王氏【交野女王】所誕育也。頗渉史漢、兼善属文。元爲賀茂齋院。弘仁十四年春二月 天皇幸齋院花宴、俾文人、賦春日山庄詩。各探勒韻。公主探得塘光行蒼。即瀝筆曰。『寂々幽庄水樹裏。仙輿一降一池塘。栖林孤鳥識春澤。隱澗寒花見日光。泉聲近報初雷響。山色高晴暮雨行。從此更知恩顧渥。生涯何以答穹蒼』。 天皇歎之、授三品。于時年十七。是日、 天皇書懷、賜公主曰。『忝以文章著邦家。莫將榮樂負煙霞。即今永抱幽貞意。無事終須遣歳華』。尋賜召文人料封百戸。天長十年叙二品。性貞潔。居于嵯峨西庄。薨時春秋四十一。
 
【逸事等】
 ※ その詩作は『經國集』に收録されている。
 
【文獻等】
稿本嵯峨天皇實録』二七七〜二八一頁「皇女有智子内親王」
大曾根章介「平安初期の女流漢詩人 ── 有智子内親王を中心にして」(『日本女流文学史 古代中世篇』(昭和四十四年)所收)


 
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更新日時: 2012.04.17.
公開日時: 2003.01.04.


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