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弘仁八年(八一七)二月十日、四品に敍される。
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『類聚國史』巻卅二「帝王」十二「天皇遊宴」弘仁八年二月庚子
安勅内親王奉献後宮。无品安勅内親王授四品。正五位上藤原朝臣阿【河】子從四位下。親王母也。
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『日本紀略』弘仁八年二月庚子
安勅内親王奉獻。无品[安勅]内親王授四品、正五位上藤原朝臣河子從四位下、親王母也。
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嘉祥二年(八四九)閏十二月二十一日、出家。上表して爵品を返還する。
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嘉祥三年(八五〇)二月二日、四品の封戸および帳内資人の品田が収公される。
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『續日本後紀』嘉祥三年二月辛亥
勅。四品安勅内親王依願令入道。&阜ヒ及帳内資人品田収公。但无品本封、帳内資人依舊行之。
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齊衡二年(八五五)九月十七日、薨逝。
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『日本文徳天皇實録』齊衡二年九月癸亥
無品安勅(【廣本振假名】アトキ)内親王薨。桓武天皇第十三女。母從四位上藤原朝臣大繼之女從四位下河子也。
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