淨土宗の總本山。 華頂山知恩教院大谷寺 慶長八年(一六〇三)、大布施主 源朝臣家康[徳川]より寺領七百餘石を寄進される。 家康の奏請により、慶長十二年(一六〇七)十一月二十七日、後陽成院の八宮(良純親王)が知恩院門跡に治定され、さらに慶長二十年(一六一五)六月十二日、家康の猶子となり、門領一千四十五石を付けられた。以後、代々、門跡は皇族より任じられ、徳川將軍家の猶子となった。 良純親王は不行跡により後水尾院の激怒を買い、寛永二十年(一六四三)十一月十一日、甲斐國天目山に遷され、知恩院門跡は空室となった。その後、後水尾院の男子 榮宮(尊光親王)が、慶安四年(一六五一)二月に知恩院門跡に治定されている。 八代(九世)知恩院門跡尊秀親王は、慶應四年(一八六八)正月、復飾、源朝臣家茂[徳川]猶子を止められ、「華頂宮」の稱號を賜わり、「博經」と復名し、知恩院宮門跡は廢絶した。 明治十九年(一八八六)一月十一日、内務大臣の指令により、門跡號の公稱を認可されている。 【文獻等】 ●『知恩院御門室御世統』(少外記平田家記録 M6) ● 藪内彦瑞編『知恩院史』(知恩院、昭和十二年(一九三七)三月) ● 中井真孝「知恩院」(『國史大辭典』第九巻(吉川弘文館、一九八八年九月第一版)、三六七〜三六八頁) 【關連ホームページ (2001.9.現在)】 ● 知恩院 http://www.chion-in.or.jp/ ● 平安建都1200年記念協会HP内「知恩院」 http://web.kyoto-inet.or.jp/org/kent1200/syaji/44annnai/44tionninn.htm
更新日時 : 2003.02.11. 公開日時 : 2001.02.22. |