浄村女王
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淨村女王は諸臣と結婚している。四世以上の女王は諸臣との婚姻が認められておらず、五世女王は諸臣と結婚できた。よって、淨村女王は五世女王と推定される。 |
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笠朝臣豐主の妻となり、女子(のちの笠朝臣宮子)を産む。 | |||
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大同元年(八〇六)、伊豫親王事件により、伊豫親王の家人であった父 雄宗王が安藝國に配流された際、淨村女王は夫 笠豐主と離別し、女子(のちの笠宮子)と共に父に從い、安藝國に下る。
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淨村女王の女子(のちの笠宮子)が安藝國賀茂郡の凡直氏の戸籍に貫されたことから、淨村女王が凡直氏に娶られた可能性もあるか。 |
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中務少丞正六位上 |
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左京人 笠朝臣豐主の女子。 幼少期の大同元年(八〇六)、母 淨村女王と、父方の祖父 雄宗王に從い、安藝國に下り、父の一族を知ることがなかった。 安藝國賀茂郡の凡直氏の戸籍に入り、姓名を凡直貞刀自と稱す。 采女の貢にあずかり、安藝國から上京し、采女となる。 父方の一族である笠朝臣數道・笠朝臣豐興が、彼女が笠豐主の女子であることを證明し、よって、天安三年(八五九)四月三日、本貫(左京)・姓名を復した。 ◎『日本三代實録』貞觀元年四月三日戊子 |
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伊集院葉子「女官から「家夫人」へ ── 六国史にみる貴族女性の公的地位 ──」(『専修史学』第四六号、専修大学歴史学会、二〇〇九年三月)45〜46頁 |
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