茂世王


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[茂世]

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茂世王
 
【出自】
 
仲野親王の男子。
 桓武天皇の二世孫王。
『日本三代實録』貞觀九年正月十七日戊午
二品仲野親王薨。・・・・・ 有男十四人、女十五人。茂世、輔世、季世、秀世、房世、當世、基世、潔世、實世、十世、在世、康世十二人【原作「茂世、當世、基世、輔世、潔世、實世、十世、在世、康世十人」】爵爲四位。・・・・・
 平朝臣貞文(定文)の祖父(※ 父とする説もある)。
 
【經歴】
承和六年(八三九)三月二十日、進士に及第。
『河海抄』巻第九「第十六 乙通女」
進士及第例
承和六年春五星若連珠詩(少輔藤原氏宗下)及第三人(三月廿日判)。孫王茂世王(桓武御後。仲野親王男)、三原永道、文長河。
承和八年(八四一)十一月二十日、無位から從四位下に敍される。
『續日本後紀』承和八年十一月
[授]无位茂世王從四位下。
承和九年(八四二)八月十一日、大學頭となる。
『續日本後紀』承和九年八月壬申
[以]從四位下茂世王爲大學頭。
嘉祥三年(八五〇)三月二十二日、仁明天皇の崩御(三月二十一日)により縁葬諸司が定められた際に、作路司となる。時に山城守從四位下。
『日本文コ天皇實録』嘉祥三年三月庚子
定縁葬諸司。・・・・・ 山城守從四位下茂世王、右京亮從五位上橘朝臣枝主等、六位一人、爲治【作、イ造】路司。
嘉祥四年(八五一)四月一日、出居侍從となる。
『日本文コ天皇實録』仁壽元年四月癸卯朔
正四位下高枝王、從四位下茂世王、基兄王、正躬王【ママ】、從四位上豐江王、正四位下橘朝臣永名、從四位上藤原朝臣衞、源朝臣生、源朝臣安、源朝臣勤、源朝臣冷、C原眞人瀧雄、從四位下藤原朝臣春津、藤原朝臣岳守、C原眞人岑成、藤原朝臣諸成、春澄宿禰善繩、正五位下藤原朝臣貞守、藤原朝臣行道、從五位上久賀朝臣三夏等、爲出居侍從。
仁壽二年(八五二)正月十五日、讚岐權守となる。
『日本文コ天皇實録』仁壽二年正月壬午
從四位下茂世王爲讃岐權守。
仁壽二年(八五二)二月二十八日、丹波守に任じられる。
『日本文コ天皇實録』仁壽二年二月乙丑
從四位下C原眞人岑成爲越前守、茂世王爲丹波守。
齊衡二年(八五五)正月十五日、丹波守に復任される。
『日本文コ天皇實録』齊衡二年正月丙申
從四位下茂世王爲丹波守。
稿本桓武天皇實録』四一二頁〔按〕に、
文コ實録仁壽二年二月二十八日ノ條に、茂世王丹波守トナルコトヲ載セ、本條マタ此事アリ、是年仁壽二年ヨリ四年目ニ當ル、蓋シ復任ナルベシ、
とあり。
天安二年(八五八)八月二十七日、文コ天皇の崩御により、縁葬諸司が定められた際に、山作司となる。時に散位從四位下。
『日本三代實録』天安二年八月廿七日乙卯
公卿於藏人所定縁葬諸司。・・・・・ 正三位行中納言橘朝臣岑繼、參議從三位行春宮大夫平朝臣高棟、參議左大弁從四位上兼行左衛門督伊豫權守藤原朝臣氏宗、正四位下行下野守豊江王、散位從四位下茂世王、從四位上行越中守源朝臣啓、左京亮從五位下朝原宿祢良道、從五位下守主計頭兼行算博士木工權助有宗宿祢u門、六位已下四人、爲山作司。
天安二年(八五八)十一月二十五日、彈正大弼となる。
『日本三代實録』天安二年十一月廿五日壬午
[以]從四位下茂世王爲彈正大弼。
貞觀元年(八五九)十一月十九日、C和天皇の大嘗會敍位に於いて、從四位上に敍される。時に彈正大弼。
『日本三代實録』貞觀元年十一月十九日庚午
[進]彈正大弼從四位下茂世王從四位上。
貞觀三年(八六一)正月十三日、阿波守となる。
『日本三代實録』貞觀三年正月十三日戊子
從四位上行彈正大弼茂世王爲阿波守。
貞觀七年(八六五)二月十七日、神靈池の水が沸騰した事を告げ災害を豫防するための深草山陵使を、伴宿禰善男と共に勤仕。時に散位從四位上。
『日本三代實録』貞觀七年二月十七日己巳
勅遣參議從四位下守右大弁大枝朝臣音人、從四位下行中務大輔忠範王等向山階山陵、告以~靈池水沸騰、預防災害。・・・・・ 大納言正三位兼行民部卿太皇大后宮大夫伴宿祢善男、散位從四位上茂世王等向深草山陵。・・・・・
貞觀八年(八六六)正月十三日、大宰大貳となる。
『日本三代實録』貞觀八年正月十三日庚寅
[以]三品中務卿兼上野太守諱(光孝天皇)親王爲大宰[權]帥。中務卿如故。散位從四位上茂世王爲[大宰]大貳。
貞觀九年(八六七)正月十七日、父 仲野親王が薨去したため、大宰大貳を去職。
『日本三代實録』貞觀九年正月十七日戊午
貞觀九年(八六七)四月十一日、詔により、大宰大貳に復職。
『日本三代實録』貞觀九年四月十一日庚辰
[以]從四位上茂世王爲大宰大貳。茂世去年正月任大宰大貳。丁父憂去職。今 詔起之。
貞觀十一年(八六九)十二月八日、宮内卿となる。
『日本三代實録』貞觀十一年十二月八日辛卯
[以]從四位上行大宰大貳茂世王爲宮内卿。
刑部卿となる。
貞觀十六年(八七四)正月十五日、加賀守を兼任。
『日本三代實録』貞觀十六年正月十五日丙子
從四位上守刑部卿茂世王爲加賀守。刑部卿如故
貞觀十六年(八七四)十一月二十一日、子の好風[王]、孫の貞文[王]の平朝臣賜姓を上疏し、聴許される。時に從四位上守刑部卿兼行加賀守。
『日本三代實録』貞觀十六年十一月廿一日丙午
從四位上守刑部卿兼行加賀守茂世王上疏。・・・・・
正四位下に昇敍。
吹上本『帝王系圖』、仲野親王の子
      刑部卿正四下
──茂 世 王
 
【備考】
大宰大貳在任中に、新羅の入寇に際會。
 
【子女】
 □
好風王 のち平朝臣好風
 ○ ゝゝ女王
 
【文獻等】
稿本桓武天皇實録』四一一〜四一五頁「皇孫茂世王」
石田敏紀「奈良・平安初期における二世王の存在形態 ―― その蔭叙・昇叙・任官・賜姓について ――」『高円史学』第十三号、奈良教育大学、一九九七年十一月、15〜61頁


 
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公開日時: 2021.03.13.

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