豊江王
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七九六年(延暦十五年)生。
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大學に入學し、文章道を修めたと考えられる。 | |||
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弘仁十三年(八二二)正月七日、無位から從五位下に敍される。二十七歳。
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天長二年(八二五)秋、少納言となり、侍從を兼ねる。三十歳。
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天長五年(八二八)正月七日、從五位下から從五位上に昇敍。三十三歳。
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承和五年(八三八)正月七日、從五位上から正五位下に昇敍。四十三歳。
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承和九年(八四二)七月二十五日、正五位下から從四位下に昇敍。四十七歳。
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承和十年(八四三)正月十二日、中務大輔となる。四十八歳。
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承和十一年(八四四)、兵部大輔に遷る。
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承和十四年(八四七)二月十二日、時子内親王の薨逝により、遣わされて喪事を監護する。時に兵部大輔從四位下。
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承和十五年(八四八)五月十五日、崇子内親王の薨逝により、遣わされて喪事を監護する。時に兵部大輔從四位下。
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嘉祥二年(八四九)正月七日、從四位下から從四位上に昇敍。五十四歳。
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嘉祥二年(八四九)正月二十二日、百濟王慶命の薨逝により、遣わされて喪事を監護す。
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嘉祥三年(八五〇)二月二十五日、秀子内親王の薨逝により、遣わされて喪事を監護す。時に兵部大輔從四位上。
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嘉祥四年(八五一)四月一日、出居侍從となる。
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仁壽元年(八五一)十一月二十六日、文コ天皇大嘗會敍位において、從四位上から正四位下に昇敍。五十六歳。
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齊衡三年(八五六)五月十三日、右京大夫となる。六十一歳。
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齊衡四年(八五七)正月十四日、下總權守となる。
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天安二年(八五八)正月十六日、下野守となる。
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天安二年(八五八)八月二十七日、文コ天皇の崩御により、縁葬諸司が定められた際に、山作司となる。時に正四位下行下野守。
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天安二年(八五八)、宮内卿となる。六十三歳。
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貞觀四年(八六二)、老病により辭官し、里第に退居。六十七歳。
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貞觀五年(八六三)七月十六日、卒去。六十八歳。時に前宮内卿正四位下。
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『稿本光仁天皇實録』 |
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