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『東大寺藥師院文書』弘仁七年十一月廿一日付「雄豐王家地相博券文」(貞觀十五年六月廿六日 大和國判)
相替家立券文事
合壱區 地参段 墾田肆段壹佰歩
東限並城王家西道 南限公田
四至
西限美濃女王家 北限公田
在大和国添上郡春日郷(五上春日里五坪者)
右家、得左京五條一坊戸主正五位上淺井王戸口正
六位上小豊王辞状偁、以便宜左京六條一坊戸主正
六位上石川朝臣圓足之京家相替既畢。望請、依
法欲券文立者。依申状、刀祢等覆勘、所陳有
實。仍勒相替兩人署、言上如件、以解。
弘仁七年十一月廿一日
以貞觀十四年十二月十三日 相替正六位上内舎人「雄豊王」
与沽實行王、以同 證正六位上「真豊王」
十五年六月廿六日立國判、仍 正六位上「廣井王」
毀了、
郡判
大領外従八位上物部清水 主政无位道祖「道麻□【呂】」
主帳丸部
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早稲田大学図書館所藏[リ05 03740 0008]
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ri05/ri05_03740/ri05_03740_0008/ri05_03740_0008_p0001.jpg
https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ri05/ri05_03740_0008/index.html
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『平安遺文』第一卷 二八頁、第四二號文書
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岸俊男「家・戸・保」(竹内理三博士還暦記念会編『律令国家と貴族社会』(吉川弘文館、昭和四十四年(一九六九)六月) 二四〇頁
弘仁七年(八一六)十一月廿一日付の雄豊王家地相博券文によると、大和国添上郡春日郷内に家地三段・墾田四段一〇〇歩を有した左京五条一坊戸主浅井王の戸口正六位上内舎人雄豊王は、それを左京六条一坊戸主正六位上石川朝臣円足の京家と交換している。現地は旧平城京の近郊に属するが、四至の記載によると、その東西にはやはり京戸と推定される並城王家や美濃女王家があった。
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