美志真王


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[美志眞]

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美志眞王 ミシマ
 
『續日本後紀』嘉祥二年正月丁丑條に「美直王」とあるのは、美志眞王であろう。
 
【出自】
 系譜未詳。
 四世王以下。
 
【經歴】
正六位上に敍される。
承和七年(八四〇)正月七日、正六位上から從五位下に敍される。
『續日本後紀』承和七年正月甲申
[詔授]无位世宗王從四位下。正六位上美志眞王、長川王並從五位下。
承和八年(八四一)三月二十日、正親正となる。
『續日本後紀』承和八年三月辛卯
[以]從五位下美志眞王爲正親正。
承和八年(八四一)四月十七日、高津内親王の薨逝により、遣わされて喪事を監護す。
『續日本後紀』承和八年四月丁巳
三品高津内親王薨。遣從五位下美志眞王、從四位下坂上大宿祢C野、從五位下藤原朝臣氏宗、從五位下林朝臣常繼等、監護喪事。
嘉祥二年(八四九)正月二十二日、百濟王慶命の薨逝により、遣わされて喪事を監護す。
『續日本後紀』嘉祥二年正月丁丑
尚侍從三【二】位百濟王慶命薨。有勅、贈從一位。遣從四位上豊江王、「從五位下【當衍】」從五位下美直王【美志眞王】、從五位下藤原朝臣緒數【諸數】、從五位下飯高朝臣永雄、監護喪事。
嘉祥三年(八五〇)正月七日、從五位下から從五位上に昇敍。
『續日本後紀』嘉祥三年正月丙戌
[詔授]從五位下美志眞王從五位上。正六位上並野王。嗣岑王並從五位下。
仁壽元年(八五一)二月八日、諸陵頭となる。
『日本文コ天皇實録』仁壽元年二月辛亥
從五位上藤原朝臣關雄爲治部少輔。美志眞王爲諸陵頭。


 
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公開日時:2022.11.12.

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