坂本親王


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坂本親王 サカモト
 
【出自】
 
桓武天皇の男子。
 
【母】
 錦部連眞奴 のち川上朝臣眞奴
 錦部連春人の女子。
『一代要記』乙集「桓武天皇」皇子「坂本親王」
四品治部卿。母從五位上【ママ】河上眞人好【ママ】。外從五位下錦部連春人女。
 延暦十五年(七九六)十一月十日、無位から從五位上に敍される。
『日本後紀』延暦十五年十一月丁酉
無位嶋野女王、百濟王孝法、百濟王惠信、和氣朝臣廣子、橘朝臣常子、紀朝臣内子、紀朝臣殿子、藤原朝臣川子、錦部連眞奴等授從五位上。
 延暦十六年(七九七)二月七日、位田を男性に准じて給付される。
『日本後紀』延暦十六年二月癸亥
勅。從五位上嶋野女王、百濟王孝法、百濟王惠信、和氣朝臣廣子、橘朝臣常子、紀朝臣内子、紀朝臣殿子、藤原朝臣川子、錦部連眞奴、從五位下弓削宿祢美濃人等位田、宜准男給之。
 川上朝臣を賜姓される。
 延暦廿三年(八〇四)七月七日、從五位上から正五位上に昇敍。
『日本後紀』延暦廿三年七月己卯
授无位明□女王從五位上。從五位上紀朝臣内子、川上朝臣眞奴、百濟王惠信、藤原朝臣川子、紀朝臣殿子正五位上。无位藤原朝臣上子、橘朝臣御井子、紀朝臣乙魚、坂上大宿禰春子從五位上。
稿本桓武天皇實録』二九〇頁〔按〕
本朝皇胤紹運録、帝王系圖等眞奴ヲ貞奴ニ作リ、マタ一代要記眞人好ニ作ルモ、日本後紀ノ記載ニ從フ、又日本後紀ニ錦部連トモ川上朝臣トモイヘルハ、三代實録ニ貞觀四年三月廿二日庚寅從五位下錦部淨刀自子賜姓河上朝臣トアルニ徴スルニ、眞奴モ亦河上朝臣ノ姓ヲ賜ハリシナルベシ、
 
【經歴】
七九三年(延暦十二年)生。
稿本桓武天皇實録』三四〇頁〔按〕
親王誕生ノ年月明カナラズ、今薨年ニ據リ逆算ス、又河上眞奴ノ名ニ關スル異説ニツキテハ、後宮河上眞奴ノ條ヲ參看スベシ、
延暦二十四年(八〇五)十一月二十三日、殿上に於いて加冠。
『日本後紀』延暦二十四年十一月戊子
坂本親王於殿上冠。賜參議從三位坂上大宿禰田村麻呂、大藏卿從四位上藤原朝臣園人、少納言從五位下多朝臣入鹿等衣被。
大同四年(八〇九)三月十八日、長岡京の地、四町を賜わる。
『日本後紀』大同四年三月癸亥
長岡京地四町賜四品【ママ】坂本親王。
稿本桓武天皇實録』三四一頁〔按〕
日本後紀、四品坂本親王トアレドモ、當時恐ラク无品ナリシコト、弘仁二年正月己未ノ記事ニヨリ察スベシ
弘仁二年(八一一)正月二十四日、無品から四品に敍される。
『日本後紀』弘仁二年正月己未
无品明日香親王、坂本親王授四品。
『類聚國史』巻九十九「職官」四「叙位」四、弘仁二年正月己未
無品明日香親王、坂本親王授四品。
治部卿に任じられる。
弘仁九年(八一八)十一月九日、薨逝。二十六歳。時に治部卿四品。
『日本紀略』弘仁九年十一月乙酉
治部卿四品坂本親王薨。遣使護喪事。賻錢絁綿米商布等。年廿六。
 
【文獻等】
稿本桓武天皇實録』三四〇〜三四一頁「皇子坂本親王」
稿本桓武天皇實録』二九〇〜二九一頁「河上眞奴」


 
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公開日時: 2022.01.14.

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