● |
永正三年(一五〇六)生。
|
● |
永正十八年(一五二一)七月、「龍華院」の院號を授けられる。十六歳。
|
● |
享禄三年(一五三〇)十月二十四日、妙顯寺(二條之法華堂)住職となる。
|
● |
享祿四年(一五三一)二月五日、三條實香を通じて、三條西實驍ニの對面を求める。
◎ |
『實骭記』享祿四年二月五日
自前左【三條實香】有使者。「妙見寺【妙顯寺】以使者被申礼可對面」云々。雖不思懸之儀、無子細由返答處、折二合・柳二荷被送之。謁使者賜盃。・・・・・ 上人者木寺宮云々。委細謝申了。
|
|
◎ |
『言継卿記』享禄四年十月十一日
今日、左府(転法輪三条実香公)被誘引之条、二条之法華堂(妙顕寺)罷向。明後日(十三日)日蓮二百五十年忌云々。法華一部連経僧徒百五六十人計歟。聖人木寺宮息云々。
右御用掛り被仰附。
|
|
|
● |
天文五年(一五三六)七月の「天文法華の乱」(天文法難)の結果、京都を追われ、和泉堺津の妙法寺に移る。
|
● |
天文十五年(一五四六)五月、堺津に預け置かれている「重書靈寶」の目録として『重書記録』を作成。
|
● |
天文二十二年(一五五三)八月二十五日歿。四十八歳。
◎ |
『竜華秘書』(立正大学日蓮教学研究所編纂『日蓮宗宗学全書』第十九巻、日蓮宗宗学全書刊行会、一九六〇年一月)一二六〜一二七頁
日廣大和尚花山院養子
一、人王百五代 後柏原院御宇
遠州東寺官【木寺宮】
一、広公 永正三(太歳/丙寅) 誕生
一、天文年中 宗号諍論、従山門奏之。
・・・・・
一、 後奈良院御宇 天文廿二(癸丑)八月廿五日四十八歳入寂。
|
|
|