大庭王
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延暦六年(七八七)正月七日、無位より從五位下に敍される。
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延暦八年(七八九)十二月二十九日、皇太后高野朝臣新笠の崩御により、山作司となる。
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延暦九年(七九〇)閏三月十一日、皇后藤原朝臣乙牟漏の崩御により、山作司となる。
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延暦十年(七九一)正月二十八日、侍從となる。
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讚岐守を兼ねる。 | ||||||
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延暦十六年(七九七)二月十五日、左大舍人頭を兼ねる。讚岐守はもとの如し。時に侍從從五位下。
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正五位下に昇敍。 | ||||||
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延暦十八年(七九九)六月十六日、中務大輔となる。
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從四位下に昇敍。 | ||||||
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延暦二十三年(八〇四)二月十八日、内匠頭となる。
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侍從となる。 | ||||||
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延暦二十五年(八〇六)正月二十八日、上野守を兼ねる。時に侍從從四位下。
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延暦二十五年(八〇六)四月一日、桓武天皇を誄する左方の後誄人を勤仕。時に侍從從四位下。
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大同五年(八一〇)九月十七日、大舍人頭を兼ねる。時に侍從從四位下。
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弘仁元年(八一〇)十一月二十二日、從四位下から從四位上に敍される。
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弘仁三年(八一二)八月一日、刑部卿となる。
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弘仁九年(八一八)九月二十六日卒。時に刑部卿從四位上。
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[藤原朝臣冬嗣の室。左大臣藤原朝臣良世の母]
その場合、朝平王は大庭王の子である可能性がある。 |
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