寿岳宗仙 / 玉姫宮
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金剛福寺位牌「一條房冬夫人位牌」(市村高男編「土佐一条氏関連史料集(続編)」一〇頁)
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『改訂伏見宮系譜 全』(宮内公文書館 32748)邦高親王の子
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禁裏執次詰所本『御系譜』邦高親王の子
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永正八年(一五一一)九月二日生。
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永正十六年(一五一九)十二月十七日、髪置。
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永正十八年(一五二一)六月二十二日、鳥羽より乘船し、土佐へ下向。
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天文十二年(一五四三)二月から五月まで、嚴島に滯在。
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藤原朝臣房家の男子。 一四九八年(明應七年)生。 永正七年(一五一〇)十二月二十九日、從五位上に直敍され、侍從となる。十三歳。 永正十年(一五一三)六月、左近衞權少將となる。 永正十年(一五一三)七月十八日、正五位下に敍される。 永正十四年(一五一七)四月十八日、從四位下に敍される。 永正十七年(一五二〇)三月二十日、正四位下に敍される。二十三歳。 左近衞權中將となる。 永正十八年(一五二一)五月十四日、從三位に敍される。二十四歳。
享祿五年(一五三二)六月十九日、從二位に敍される。 天文四年(一五三五)十一月七日、左大將となる。三十八歳。 天文六年(一五三七)[十二月九日]、左大將を辭す。 天文八年(一五三九)八月二十三日、正二位に叙される。 天文十年(一五四一)十一月六日、土佐國において薨去。四十四歳。
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藤原朝臣房冬の男子。 一五二二(大永二年)生。 享祿三年(一五三〇)九月九日、從五位下に敍される。九歳。 享祿五年(一五三二)五月十九日、右近衞權中將となる。 天文四年(一五三五)九月二十七日、正五位下に敍される。 天文六年(一五三七)正月十四日、從四位下に敍される。 天文八年(一五三九)正月二十五日、從四位上に敍される。 天文八年(一五三九)八月二十三日、正四位下に敍される。 天文九年(一五四〇)十二月十二日、從三位に敍される。十九歳。
天文十八年(一五四九)四月十二日、土佐國において薨去。
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眞照院殿壽嶽宗仙が土佐一條家の一條房冬に嫁いだことにより、貞敦親王は一條房基の敍任を推擧し、一條房冬の大將任官のために盡力、後奈良院の反對に對しても既成事實を重ね、遂に強引に房冬の大將任官を實現させた。
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『伏見宮實録』三九『邦高親王實録』三(宮内公文書館 75239)「王女 某(玉姫宮)一條冬房【ママ】室」 |
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『皇室制度史料 皇族一』 三四〇頁 |
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市村高男編「中世土佐一条氏関係史料集」(『中世土佐一条氏関係の史料収集および遺跡調査とその基礎的研究』 2002~2004(平成14~16)年度科学研究費補助金 基盤研究(C)(2)、研究成果報告書(課題番号 14510365)、研究代表者 市村高男(高知大学教育学部教授)、2005年(平成17)3月、47~142頁) |
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市村高男編「土佐一条氏関係史料集(続編)」(『海運・流通から見た土佐一条氏の学際的研究』 2005~2007(平成17~19)年度科学研究費補助金基盤研究(C)、研究成果報告書(課題番号 17520437)、研究代表者 市村高男(高知大学教育学部教授)、2008(平成20)年3月、一~四五頁) |
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