寿岳宗仙 / 玉姫宮


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[宗仙]

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宗仙
 
 「眞照院殿
壽嶽宗仙大禪定尼
金剛福寺位牌「一條房冬夫人位牌」(市村高男編「土佐一条氏関連史料集(続編)」一〇頁)
【表】[梵字] 眞照院殿壽嶽宗仙大禪定尼尊儀
【裏】八 伏見宮之姫宮。圓明院殿【房冬】御躰
 「玉姫宮
改訂伏見宮系譜 』(宮内公文書館 32748)邦高親王の子
女 子
  母
  号玉姫宮
  土佐一條左大將房冬卿室 左中將房基朝臣母
 
 藤原朝臣房冬[土佐一條]の室。
 
【道號】
 「壽嶽
 
【法號】
 「眞照院
 
【出自】
 邦高親王[伏見殿]の女子。
禁裏執次詰所本『御系譜』邦高親王の子
女子(土佐一條左大將房冬卿室。左中將房基朝臣母)
 
【經歴】
永正八年(一五一一)九月二日生。
『實隆公記』永正八年九月二日(己酉)
伏見殿姫宮御誕生云々
『實隆公記』永正八年九月八日(乙卯)
入夜參竹園奉賀姫宮御誕生事。賜御盃。數刻御言談。
永正十六年(一五一九)十二月十七日、髪置。
『二水記』永正十六年十二月十七日
晩頭參伏見殿。有御祝姫宮御方御髪置也。
永正十八年(一五二一)六月二十二日、鳥羽より乘船し、土佐へ下向。
『二水記』永正十八年六月廿一日
入夜參伏見殿。明日未明姫宮御方土左國有御下向事。仍爲御暇乞也。
『二水記』永正十八年夏目録、六月廿二日
姫宮土州御下向事。
『二水記』永正十八年六月廿二日
早旦御下向云々。從鳥羽御乘船云々。午刻參竹園。各被惜御名殘。上下涙痕難休者也。
天文十二年(一五四三)二月から五月まで、嚴島に滯在。
『房顯覺書』(市村高男編「土佐一条氏関連史料集(続編)」七頁)
一、去程興藤坊州【防州】へ手切申サルヽ間、興家三家ノ警固二三十艘呼下ス。正月十二日【天文十年】ノ日也。・・・・・
去程ニ土州一條殿御息所(【右傍注】宮)ハ 伏見殿御息女、一條殿ノコケ子。介殿恒持ノ御爲ニハ御袋ニテ御マセハ、介殿御見參ノ爲ニ卯ノ年【天文十二年】ノ二月ヨリ五月ニ至テ御在島アリ。神ハ九前【九善】、王ハ十前【十善】ノ位トテミタン成ル事共多々在ケレトモ書記ニ及ス。去間雲州ノ敗軍五月四日五日風聞ノ間、同七日當島ヲ【ヨリ】至小方御宮樣送參せ、小瀬ニ一兩日逗留。其後山口ヨリ迎參御下向在。介殿ハ雲州にて御死去在ハ、介殿舎弟チヤチ若君寶壽寺ニナシ被參レ、宮樣同前ニ寶壽寺ニハ【ワ】タラセタマフ。
 
【配偶】
 藤原朝臣房冬
 藤原朝臣房家の男子。
 一四九八年(明應七年)生。
 永正七年(一五一〇)十二月二十九日、從五位上に直敍され、侍從となる。十三歳。
 永正十年(一五一三)六月、左近衞權少將となる。
 永正十年(一五一三)七月十八日、正五位下に敍される。
 永正十四年(一五一七)四月十八日、從四位下に敍される。
 永正十七年(一五二〇)三月二十日、正四位下に敍される。二十三歳。
 左近衞權中將となる。
 永正十八年(一五二一)五月十四日、從三位に敍される。二十四歳。
『公卿補任』永正十八年 非參議 從三位「(一條)藤房冬(廿四)」
 大永三年(一五二三)八月十八日、土佐國在國にして權中納言となる。二十六歳。
邦高親王の執奏による。
 享祿三年(一五三〇)九月十二日、正三位に敍される。
 享祿五年(一五三二)六月十九日、從二位に敍される。
 天文四年(一五三五)十一月七日、左大將となる。三十八歳。
 天文六年(一五三七)[十二月九日]、左大將を辭す。
 天文八年(一五三九)八月二十三日、正二位に叙される。
 天文十年(一五四一)十一月六日、土佐國において薨去。四十四歳。
金剛福寺位牌「一條房冬位牌」(市村高男編「土佐一条氏関連史料集(続編)」一〇頁)
【表】[梵字] 圓明院殿二品幕下明叟宗賢大居士尊儀
     藤林寺殿【房家】之嫡子一條殿
【裏】五 于時天文十年 十一月六日
 
【子女】
 藤原朝臣房基
 藤原朝臣房冬の男子。
 一五二二(大永二年)生。
 享祿三年(一五三〇)九月九日、從五位下に敍される。九歳。
 享祿五年(一五三二)五月十九日、右近衞權中將となる。
 天文四年(一五三五)九月二十七日、正五位下に敍される。
 天文六年(一五三七)正月十四日、從四位下に敍される。
 天文八年(一五三九)正月二十五日、從四位上に敍される。
 天文八年(一五三九)八月二十三日、正四位下に敍される。
 天文九年(一五四〇)十二月十二日、從三位に敍される。十九歳。
『公卿補任』天文九年 非參議 從三位「(一條)藤房基(十九)」
 天文十年(一五四一)三月二十七日、阿波權守を兼ねる。
 天文十八年(一五四九)四月十二日、土佐國において薨去。
『公卿補任』天文十八年 非參議 從三位「(一條)藤房基(廿九)」
右中將。四月十二日自害。不知其故云々。狂氣云々。
金剛福寺位牌「一條房基位牌」(市村高男編「土佐一条氏関連史料集(続編)」一〇頁)
【表】[梵字] 光壽寺殿中郞將香叔桃蘂大禪定門尊儀
【裏】六 圓明院殿之嫡子。御母伏見宮之姫宮
 
【逸事等】
眞照院殿壽嶽宗仙が土佐一條家の一條房冬に嫁いだことにより、貞敦親王は一條房基の敍任を推擧し、一條房冬の大將任官のために盡力、後奈良院の反對に對しても既成事實を重ね、遂に強引に房冬の大將任官を實現させた。
『後奈良天皇宸記』天文四年九月廿六日(甲申)
自中務卿宮【貞敦親王】、以兼秀朝臣【廣橋】被申。土左國之中納言中將【一條房冬】之息房基右中將(并)正五位下之事也。勅許。
『後奈良天皇宸記』天文四年九月廿七日(乙酉)
自中務卿宮【貞敦親王】、土左一条房冬(【右傍】中納言中將)大將所望之事、種々懇望也。雖而不許。
『後奈良天皇宸記』天文四年十一月五日(壬戌)
自竹園【貞敦親王】、土左一条【房冬】大將事、昨夜一向ニ不被申。然處(ニ)内々勅許之分ニテ、雜掌勾當局ヘ万疋進上。言語道斷。無是非曲事也。未領状之處也。雖然竹園失面目之由被申上者、大將之事ハ心得之由云之。万疋事者曾以不可知之。以誓言万疋者返之。不知之事也。
『後奈良天皇宸記』天文四年十一月七日(甲子)
自竹園【貞敦親王】、(【右注】土左)中納言中將【一條房冬】大將之事、勅許。祝著之由、度々被申。無是非々々。
 
【文獻】
『伏見宮實録』三九『邦高親王實録』三(宮内公文書館 75239)「王女 某(玉姫宮)一條冬房【ママ】室」
『皇室制度史料 皇族一』 三四〇頁
市村高男編「中世土佐一条氏関係史料集」(『中世土佐一条氏関係の史料収集および遺跡調査とその基礎的研究』 20022004(平成1416)年度科学研究費補助金 基盤研究(C)(2)、研究成果報告書(課題番号 14510365)、研究代表者 市村高男(高知大学教育学部教授)、2005年(平成173月、47142頁)
市村高男編「土佐一条氏関係史料集(続編)」(『海運・流通から見た土佐一条氏の学際的研究』 20052007(平成1719)年度科学研究費補助金基盤研究(C)、研究成果報告書(課題番号 17520437)、研究代表者 市村高男(高知大学教育学部教授)、2008(平成20)年3月、一~四五頁)



 
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公開日時: 2021.07.02.

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