滋宮 韶子内親王


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
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韶子内親王 あきこ
 
【稱號】
 「
滋宮」 しげのみや
 
【出自】
 明治天皇の三女。
 
【生母】
 千種任子 ちくさ ことこ
 典侍
 千種有任の女子。
『皇胤紹運録(新補)』「今上皇帝」の子「韶子内親王」(『皇族考證 第伍巻』四百五十五頁)
母千種任子。明治十四年八月三日誕生。稱「滋宮」。十六年九月六日薨。
 
【經歴】
明治十四年(一八八一)八月三日、誕生。
『法令全書』明治十四年八月三日太政官布告
今三日午後四時三十分、權典侍千種任子分娩。皇女御降誕被遊候條、此旨布告候事。
『實麗卿記』明治十四年八月三日
今日午後四時、權典侍任子(千種有任朝臣女。通稱花町典侍)皇女【韶子内親王】降誕之旨、實梁報。
明治十四年(一八八一)八月九日、「韶子」と命名され、「滋宮」と稱號を定められる。
『法令全書』明治十四年八月九日太政官布告
皇女「韶子」ト被命、「滋宮」ト可奉稱。此旨布告候事。
嵯峨實愛邸に移徙。
明治十六年(一八八三)九月六日、薨去。三歳。
『法令全書』明治十六年九月七日太政官告示
韶子内親王、昨六日午後八時薨去被遊候。右告示候事。
二日後、同母妹である章子内親王も薨去。
明治十六年(一八八三)九月十三日、葬送。
『法令全書』明治十六年九月十日太政官告示
故韶子内親王、來ル十三日午前第六時御出棺、小石川豐島岡ヘ御葬送相成候。右告示候事。
 
【墓所】
 東京都文京區大塚の豐島岡皇族墓地
 
【文獻等】
C水正健『皇族考證 第伍巻』四百五十一〜四百五十二頁「韶子内親王」
『明治天皇紀』


 
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公開日時: 2012.12.12.

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