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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[信正]

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信正王
 のち源朝臣信正
 
【出自】
 重明親王の三男。
 醍醐天皇二世。
 
【母】
 未詳。
 藤原朝臣忠平の二女、藤原朝臣寛子か。
 
【經歴】
信正王
學生となる。
應和三年(九六三)閏十二月二十六日、登省宣旨を蒙る。
『類聚符宣抄』九「文章生試」
  學生二世信正王    蔭孫平美信
大納言兼中宮大夫源高明宣、奉勅。件人等、宜式部省令奉文章生試者。
    應和三年閏十二月廿六日 大外記兼主税權助備後介御船宿禰傅説【傳説】
康保二年(九六五)十月二十三日、村上天皇の朱雀院行幸に祗候する。
『類聚符宣抄』九「文章生試」
左大臣【藤原實ョ】宣、奉勅。今月廿三日、可有行幸朱雀院、率博士以下擬文章生以上、可候彼院。又學生二世信正王、蔭孫平美信等、先日蒙登省宣旨之者、同可令候者。
    康保二年十月廿一日   大外記兼主税權助備後介御船宿禰傅説【傳説】
康保三年(九六六)十二月二十七日、省試を受ける。
『西宮記』十三「臨時」一 裏書
康保三年十二月廿五日御記【『村上天皇御記』】云。仰民部卿藤原朝臣【在衡】、信正王申親喪内登省事、可准例宜令勘申。同廿六日、令仰左大臣【藤原實ョ】。學生信正王・平美信令登明日省試事。信正王依故中務卿親王【叔父、式明親王】喪假未滿。令勘先例、忽無諸見。而准半減假限、依召參入之例、令仰下文之云々。
二世孫王として從四位下に敍される。
源朝臣信正
源朝臣を賜姓される。
安和二年(九六九)三月十三日までに彈正大弼に任じられる。
『粟田左府尚齒會詩』(『大日本史料』第一編之二十四、一一二頁所引
  暮春見藤亞相【在衡】山荘尚齒會詩         彈正大弼源信正(今按、重明親王子
・・・・・
民部大輔に任じられる。
脇坂本・内閣文庫本『尊卑分脈』延喜、「重明親王」の子
民部大輔 從四下
信 正
 
【『齋宮女御集』における「みぶのたいふ」】
『齋宮女御集』に、「みぶのたいふうせ給へる春」、「六宮女御」が徽子女王に對して贈った、「みぶのたいふ」即ち民部大輔の死を悼んだ歌と、徽子女王の返歌が收められているが、この「みぶのたいふ」は、源信正か源行正か、いずれかに比定される。「行正王」を見よ。
『齋宮女御集』
みぶのたいふうせ給へる春 たれもみな かりのやどりに かすめども さきにたつよの あはれをぞしる 六宮女御
         おほん おもひきや かすみもはてぬ かりのよに さきだつくもと ならんものとは 徽子  
 
【子女】
 
工事中【文獻等】
『大日本史料』第一編之二十四、寛和元年是歳「村上天皇女御前齋宮徽子女王卒ス、」一一一〜一一三頁「源信正ノ事蹟」
稿本醍醐天皇實録』一二三二頁「皇孫信正」



 
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公開日時: 2010.04.10.
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