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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
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○ 承子内親王
 
【出自】
 村上天皇の第一内親王。
 
【母】
 藤原朝臣安子
 村上天皇の中宮
 藤原朝臣師輔の女子。
 
【經歴】
天暦二年(九四八)四月十一日、誕生。
『日本紀略』天暦二年四月十一日庚寅
曉、梨壺女御誕皇子。
『榮濱物語』一「月宴」
・・・・・ 九條殿の女御【藤原安子】たゝにもおはしまさで、めでたしとののしりしかど、女御子にて、いと本意なき程に ・・・・・
天暦三年(九四九)二月二十五日、内親王となる。二歳。
『日本紀略』天暦三年二月廿五日己亥
承子女王爲内親王。官符賜諸司。藤氏公卿奏慶。
天暦四年(九五〇)十月四日、着裳。三歳。
大永鈔本『西宮記』第八冊「臨時」「内親王著裳」所引『李部王記』天暦四年十月四日
承子内親王初服袴。
天暦五年(九五一)七月二十五日、薨逝。四歳。
『一代要記』「第六十二村上天皇」皇女「承子内親王」
天暦三年二月爲親王、二歳。同五年七月二十五日薨。年四歳。
 
【逸事等】
憲平親王(のちの冷泉天皇)の御七夜の儀は、承子内親王政所において行われた。
『御産部類記』二所引『九條殿記』天暦四年閏五月一日丁卯(『大日本古記録 九暦』一八九頁)
此日當第七夜。姫宮【承子内親王】政所設饗饌 ・・・・・
長保六年三月十三日、藤原朝臣行成は、源朝臣俊賢より、「東院」の承子内親王の「殯處」が荒廢していることを聞いた。
『權記』長保六年三月十三日丁酉
參内。與源中納言【俊賢】同車詣法興院【山城】。左府【道長】被修万燈會、納言々談。東院殯村上女一宮(【傍】御)子【承子内親王】處。故關白殿北殿又殯村上六皇子【昌平親王】云々。如此處皆荒云々。
 
【文獻等】
清水正健『皇族考證』第參卷、二三一頁


 
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公開日時: 2007.02.14.
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