源正明
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『公卿補任』天暦五年 參議 從四位上「同【源】正明(五十九)」 |
*齊明王 | ||||||||||
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寛平五年(八九三)生。
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延喜十年(九一〇)正月七日、從四位下に敍される。十八歳。
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延喜十四年(九一四)正月十二日、美濃守に任じられる。二十二歳。
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延喜十五年(九一五)二月二十二日、丹波權守に任じられる。
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延喜十七年(九一七)正月二十日、侍從となる。二十五歳。
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延喜二十一年(九二一)正月三十日、左馬頭となる。
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延長二年(九二四)八月九日、丹波權守を兼ねる。
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源朝臣齊明 | ||||||||||
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延長二年(九二四)八月九日から延長三年(九二五)十一月十四日の間に源朝臣を賜姓される。
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延長三年(九二五)十一月十四日の新嘗祭に參仕。時に左馬頭。
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延長六年(九二八)正月七日、治國の功により從四位上に昇敍される。三十六歳。
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源朝臣正明 | ||||||||||
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延長三年(九二五)十一月十四日以降、遲くとも承平七年(九三七)十一月二十三日以前に、正明と改名。 | |||||||||
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承平三年(九三三)正月十二日、加賀權守を兼ねる。
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承平四年(九三四)十二月二十一日、右近衞中將に任じられる。
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承平六年(九三六)正月二十九日、伊勢權守を兼ねる。
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承平七年(九三七)三月八日、紀伊權守を兼ねる。 | |||||||||
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承平七年(九三七)十一月、春日祭使に選ばれたが、祭の當日の二十二日が父 是忠親王の命日に當るため、春日祭使を辭退し、源朝臣爲善に改替させた。
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天慶四年(九四一)三月二十八日、伊勢權守を兼ねる。
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天慶八年(九四五)二月四日、觸穢により、春日祭使として發向できず。
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天慶八年(九四五)十一月二十五日、左近衞中將に轉じる。
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天慶九年(九四六)十月二十八日、村上天皇の大嘗會御禊に、左大將代として勤仕。
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天暦元年(九四七)六月六日、讚岐權守を兼ねる。
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天暦五年(九五一)正月三十日、參議に任じられる。五十九歳。
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天暦五年(九五一)五月二十二日、彈正大弼を兼ねる。
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天暦六年(九五二)正月七日、正四位下に昇敍。六十歳。
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天暦六年(九五二)十一月、讚岐權守を兼ねる。
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天暦八年(九五四)十二月十一日、~今食に參仕。
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天暦九年(九五五)二月七日、大和權守を兼ねる。
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天コ二年(七五八)三月九日、卒去。六十六歳。時に參議正四位下。
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吹上本『帝王系圖』、是忠親王の子 源正明の右袖書に「大藏正四位下」とある(『稿本光孝天皇實録』 二八二頁所引)が、「大藏」とあるのは誤りであろう。 |
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東京大學史料編纂所編纂『大日本史料』第一編之十、四三五〜四三六頁、天コ二年三月九日(庚寅)「參議正四位下源正明卒ス、」 |
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『稿本光孝天皇實録』 二八一〜二八二頁 「皇孫正明」 |
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