● |
九一五(延喜十五年)生。
|
● |
延喜二十年(九二〇)十二月二十八日、源朝臣を賜姓される。七歳。
◎ |
『貞信公記抄』延喜二十年十二月廿五日
|
◎ |
『貞信公記抄』延喜二十年十二月廿八日
|
◎ |
『日本紀略』延喜二十年十二月二十八日
|
◎ |
『類聚符宣抄』四「親王皇子賜姓」
|
|
● |
延喜二十一年(九二一)二月五日、左京一條一坊を本貫とする、源朝臣高明を戸主とする戸籍に入れられる。七歳。
◎ |
『類聚符宣抄』四「親王皇子賜姓」
太政官符 民部省(承知下中務・式部・大藏・宮内等省)
源朝臣高明(年八) 源朝臣兼明(年八) 源朝臣自明(年四) 源朝臣允明(年三)
源朝臣兼子(年七) 源朝臣雅【ママ】子(年七) 源朝臣嚴子(年六)
右、右大臣宣、奉勅。件七人是皇子也。而依去年十二月廿八日勅書、賜姓、貫左京一條一坊、宜以高明爲戸主者、省宜承知、依宣行之、符到奉行。
左大辨 源悦 左大史 丈部有澤(歟) 延喜廿一年二月五日
|
|
|
● |
從四位上に敍される。
|
● |
天暦三年(九五二)卒去。三十八歳。
◎ |
『一代要記』「第六十醍醐天皇」皇女「兼子」
|
◎ |
『皇代記』「醍醐天皇」(女)賜姓「源兼子」
|
|