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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[兼子B]

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兼子
 源朝臣兼子
 
【出自】
 
醍醐天皇の女子。
 
【母】
 源朝臣周子
「近江更衣」
右大辨源朝臣唱の女子。
類從本『皇胤紹運録』
源兼子(從四下。母同時明)。
 
【經歴】
九一五(延喜十五年)生。
『類聚符宣抄』四「親王皇子賜姓」より逆算。
延喜二十年(九二〇)十二月二十八日、源朝臣を賜姓される。七歳。
『貞信公記抄』延喜二十年十二月廿五日
定當代源氏。了直物。
『貞信公記抄』延喜二十年十二月廿八日
賜源氏勅書。
『日本紀略』延喜二十年十二月二十八日
賜皇子等源朝臣姓。
『類聚符宣抄』四「親王皇子賜姓」
延喜二十一年(九二一)二月五日、左京一條一坊を本貫とする、源朝臣高明を戸主とする戸籍に入れられる。七歳。
『類聚符宣抄』四「親王皇子賜姓」
太政官符 民部省(承知下中務・式部・大藏・宮内等省)
  源朝臣高明(年八) 源朝臣兼明(年八) 源朝臣自明(年四) 源朝臣允明(年三)
  源朝臣兼子(年七) 源朝臣雅【ママ】子(年七) 源朝臣嚴子(年六)
右、右大臣宣、奉勅。件七人是皇子也。而依去年十二月廿八日勅書、賜姓、貫左京一條一坊、宜以高明爲戸主者、省宜承知、依宣行之、符到奉行。
     左大辨 源悦   左大史 丈部有澤(歟)        延喜廿一年二月五日
從四位上に敍される。
天暦三年(九五二)卒去。三十八歳。
『一代要記』「第六十醍醐天皇」皇女「兼子」
從四位上。賜源姓。天暦三年卒。
『皇代記』「醍醐天皇」(女)賜姓「源兼子」
從四上。
 
【文獻等】
稿本醍醐天皇實録』 一一四〇〜一一四一頁 「皇女兼子」
清水正健『皇族考證』第參巻 百八十五頁


 
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公開日時: 2012.02.11.

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