建宮 敬仁親王


前頁 「 敬 [敬子]
『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[敬仁]

フレームなし

工事中

敬仁親王 ゆきひと
 
【稱號】
 「
建宮
 
【出自】
 明治天皇の二男。
 
【生母】
 柳原愛子
 典侍。
 柳原光慶の女子。
 
【經歴】
明治十年(一八七七)九月二十三日、誕生。
『法令全書』明治十年九月二十三日太政官布告
今廿三日正午十二時、權典侍柳原愛子分娩。皇子御降誕被遊候條、此旨布告候事。
『實麗卿記』明治十年九月二十四日
午前八時、實梁來状。昨日十二時、皇子降誕。殊御機嫌能旨申越。
明治十年(一八七七)九月二十九日、「敬仁」と命名され、「建宮」と稱號が定められる。
『法令全書』明治十年九月廿九日太政官布告
皇子御名「敬仁」ト被命。建ノ御殿ニ御住居被爲在候條、「建宮」ト可奉稱。此旨布告候事。
『實麗卿記』明治十年九月二十九日
三時計、實梁來語云。本日若宮御七夜御祝被進。御諱名(敬仁)被稱「建宮」之旨也。千鶴萬龜、恐悦至極。
三品に敍される。
明治十一年(一八七八)七月二十六日、薨去。二歳。
『法令全書』明治十一年七月二十七日太政官布告
三品敬仁親王、昨二十六日薨去被遊候條、此旨布告候事。・・・・・
『實麗卿記』明治十一年七月二十六日
午後五時計、從實梁來状。建宮、本日午後□□三十分、御大切之旨有報知。所驚愕。
明治十一年(一八七八)八月二日、葬送。
『法令全書』明治十一年七月三十日太政官布告
三品親王敬仁尊、來ル八月二日、府下第九大區二小區小石川豐島岡ヘ御葬送相成候條、此旨布告候事。
 
【墓所】
 東京都文京區大塚の豐島岡皇族墓地
 
【文獻等】
C水正健『皇族考證 第伍巻』四百四十六頁「敬仁親王」
『明治天皇紀』


 
次頁 「 敬 [敬典]
『 親王 ・ 諸王略傳 』 目次 「 け 」  『 親王 ・ 諸王略傳 』 の冒頭
『 日本の親王 ・ 諸王 』 の目次


公開日時: 2012.12.02.

Copyright: Ahmadjan 2012.12 - All rights reserved.