基兄王
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八二四年(弘仁十五年/天長元年)生。
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基枝王 | |||||||
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承和十一年(八四四)正月七日、無位から從四位下に敍される。
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基兄王 | |||||||
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承和十二年(八四五)七月三日、宮内大輔に任じられる。
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承和十四年(八四七)二月十一日、民部大輔に任じられる。
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嘉祥三年(八五〇)三月十六日、桓武天皇の柏原山陵への奉謝使となる。
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嘉祥三年(八五〇)三月二十六日、仁明天皇の葬送に供奉する諸大夫を見舞って慰撫するために遣わされる。時に從四位下行民部大輔。
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嘉祥四年(八五一)四月一日、出居侍從となる。
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齊衡三年(八五六)正月七日、從四位上に敍される。
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天安元年(八五七)九月十日、山城守となる。
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天安二年(八五八)八月二十七日、文コ天皇の葬儀の作路司となる。時に從四位上行山城守。
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貞觀五年(八六三)二月十日、民部大輔に任じられる。
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貞觀七年(八六五)正月二十七日、安藝守となる。
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母の喪に服し安藝守を辭したが、貞觀七年(八六五)五月十六日、C和天皇の詔により安藝守に復す。
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貞觀十一年(八六九)二月十六日、彈正大弼に任じられる。
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貞觀十二年(八七〇)二月二十一日、刑部卿に任じられる。
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大藏卿に任じられる。 | ||||||
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貞觀十六年(八七四)正月七日、正四位下に敍される。
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元慶五年(八八一)十一月二十二日、卒去。五十八歳。時に大藏卿正四位下
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『稿本桓武天皇實録』四六二〜四六四頁「皇孫基兄王」 |
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