基兄王


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[基兄]

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基兄王
 もと
基枝王
 
【出自】
 葛井親王の一男。
 桓武天皇の二世孫王。
 
【經歴】
八二四年(弘仁十五年/天長元年)生。
『日本三代實録』元慶五年十一月廿二日丙寅條より逆算。
基枝王
承和十一年(八四四)正月七日、無位から從四位下に敍される。
『續日本後紀』承和十一年正月庚寅
[授]无位基伎王從四位下。
※「基伎王」は「基枝王」の誤り。
『類聚國史』巻九十九「職官」四「叙位」四 承和十一年正月庚寅
[授]无位基枝王從四位下。
基兄王
承和十二年(八四五)七月三日、宮内大輔に任じられる。
『續日本後紀』承和十二年七月戊申
從四位下基兄王爲宮内大輔。
承和十四年(八四七)二月十一日、民部大輔に任じられる。
『續日本後紀』承和十四年二月丁丑
從四位下基兄王爲民部大輔。
嘉祥三年(八五〇)三月十六日、桓武天皇の柏原山陵への奉謝使となる。
『續日本後紀』嘉祥三年三月甲午
復奉宣命曰。 天皇大命、掛畏柏原御陵申賜倍止。・・・・・ 是以、參議從四位上行左兵衞督藤原朝臣助、民部大輔從四位下基兄王等差使申謝奉出。・・・・・
嘉祥三年(八五〇)三月二十六日、仁明天皇の葬送に供奉する諸大夫を見舞って慰撫するために遣わされる。時に從四位下行民部大輔。
『日本文コ天皇實録』嘉祥三年三月甲辰
遣從四位下行民部大輔基兄王、外從五位下豐階公安人等、存問供御葬之諸大夫。
嘉祥四年(八五一)四月一日、出居侍從となる。
『日本文コ天皇實録』仁壽元年四月癸卯朔
正四位下高枝王、從四位下茂世王・基兄王・正躬王【ママ】、從四位上豐江王、正四位下橘朝臣永名、從四位上藤原朝臣衞・源朝臣生・源朝臣安・源朝臣勤・源朝臣冷・C原眞人瀧雄、從四位下藤原朝臣春津、藤原朝臣岳守・C原眞人岑成・藤原朝臣諸成・春澄宿禰善繩、正五位下藤原朝臣貞守・藤原朝臣行道、從五位上久賀朝臣三夏等、爲出居侍從。
齊衡三年(八五六)正月七日、從四位上に敍される。
『日本文コ天皇實録』齊衡三年正月辛亥
授從四位下基兄王從四位上。
『類聚國史』巻九十九「職官」四「叙位」四 齊衡三年正月辛亥
授從四位下基兄王從四位上。
天安元年(八五七)九月十日、山城守となる。
『日本文コ天皇實録』天安元年九月甲辰
從四位上基兄王爲山城守。
天安二年(八五八)八月二十七日、文コ天皇の葬儀の作路司となる。時に從四位上行山城守。
『日本三代實録』天安二年八月廿七日乙卯
文コ天皇崩於冷泉院新成殿。・・・・・ 公卿於藏人所定縁葬諸司。・・・・・ 從四位上行山城守基兄王 ・・・・・ 爲作路司。
貞觀五年(八六三)二月十日、民部大輔に任じられる。
『日本三代實録』貞觀五年二月十日癸卯
散位從四位上基兄王爲民部大輔。
貞觀七年(八六五)正月二十七日、安藝守となる。
『日本三代實録』貞觀七年正月廿七日己酉
從四位上基兄王爲安藝守。
母の喪に服し安藝守を辭したが、貞觀七年(八六五)五月十六日、C和天皇の詔により安藝守に復す。
『日本三代實録』貞觀七年五月十六日丙申
從四位上基兄王爲安藝守。基兄、今年正月拜安藝守。丁母憂去職。 詔以本官起之。
貞觀十一年(八六九)二月十六日、彈正大弼に任じられる。
『日本三代實録』貞觀十一年二月十六日甲辰
從四位上行安藝守基兄王爲彈正大弼。
貞觀十二年(八七〇)二月二十一日、刑部卿に任じられる。
『日本三代實録』貞觀十二年二月廿一日癸卯
從四位上行彈正大弼基兄王爲刑部卿。
大藏卿に任じられる。
貞觀十六年(八七四)正月七日、正四位下に敍される。
『日本三代實録』貞觀十六年正月七日戊辰
授 ・・・・・[從四位上]大藏卿基兄王並正四位下云々
元慶五年(八八一)十一月二十二日、卒去。五十八歳。時に大藏卿正四位下
『日本三代實録』元慶五年十一月廿二日丙寅
大藏卿正四位下基兄王卒。基兄王者三品葛井親王長子也。年五【林本・内本・紀略「六」】十八。
 
【文獻等】
稿本桓武天皇實録』四六二〜四六四頁「皇孫基兄王」


 
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公開日時: 2012.07.29.

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