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延文五年(一三六〇)生。
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熈平親王
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應安元年(一三六八)十二月十二日、親王宣下。
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『後深心院關白記(愚管記)』應安元年十二月十二日戊寅
今日立親王(熈平)云々。今上【後光嚴院】皇子。明後日可有入室円滿院云々。
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行助親王
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應安元年(一三六八)十二月十四日、著袴。長助親王の薨(延文六年二月六日)後、空室となっていた圓滿院に入室し、得度。円滿院門主となる。九歳。
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『後愚昧記』應安元年十二月十四日
後聞。今夜、今上【後光嚴院】親王(年九歳云々。去月【ママ】有親王 宣下。名字熈平。勘解由長官高嗣卿【菅原】撰申之。 勅別當權中納言實直卿【今出川】。件 宣下上卿藤中納言(忠光卿【柳原】)也)、入室円滿院(寺門々跡也。円滿院門主【長助親王】先年薨去)。其儀委可尋注之。
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『後深心院關白記(愚管記)』應安元年十二月十四日庚辰
今夜宮【熈平親王】入室円滿院云々。令坐資ヘ【日野】許給。今夜先有着袴之儀云々。其後參内、次入室門跡云々。
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『稿本後光嚴天皇實録』 七九二頁の〔按〕に、
諸門跡譜、本朝皇胤紹運録ニハ親王ヲ尊悟資ト爲シ、諸寺院上申ニモ同樣ノ記載アレドモ、親王ノ誕生年月ハ正平十五年ニシテ、尊悟親王ノ薨去ハ正平十四年七月二十九日ナレバ、其相續關係ハ三井續燈記、愚管記等ヲ以テ正シト爲スベキカ、
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とある。
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應安七年(一三七四)二月、父、後光嚴院の崩御により、素服を賜わる。
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『後愚昧記』應安七年二月二日【後光嚴院葬禮。實音注送ノ記】
實音卿送之。
素服人數
内親王【治子】 円滿院宮【入道行助親王】
仁和寺宮【入道永助親王】 梶井宮【入道覺叡親王】
青蓮院宮【入道道圓親王】 妙法院宮【堯仁法親王】
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『後深心院關白記(愚管記)』應安七年二月五日辛丑
【裏書】素服人數
宮
准后(【傍】治子内親王) 円滿院宮【行助親王】 仁和寺宮【永助親王】 梶井宮【覺叡親王】 蓮院宮【道圓親王】 妙法院宮【堯仁親王】
女房
・・・・・
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永和三年(一三七七)十二月六日、一身阿闍梨に補される。
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『法中傳系部類』三井寺血脈「入道二品親王行助」
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永和三年(一三七七)十二月十五日、靜法院において房聖僧正より受職灌頂を受ける。十八歳。
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『三井寺灌頂脈譜』
房聖僧正授十人
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八葉觀音圓滿院法親王永和三ー十二−十五 ・・・・・
行助(年十八、一身阿ー靜法院十二人長。戒十、二品、長吏) ・・・・・
精進波ー後光嚴院御子 ・・・・・
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康暦元年(一三七九)三月二十七日、園城寺長吏に補される。二十歳。
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『三井續燈記』四「長吏次第」「行助入道法親王(圓滿院二品親王)」
永和五年(【傍注】康暦元)三月二十七日任。九歳出家。
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至コ三年(一三八六)九月十日、薨逝。二十七歳。
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