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九一〇(延喜十年)生。
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『一代要記』「天暦八−八月廿九日薨(四十五)」より逆算。
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延喜十一年(九一一)十一月二十八日、内親王となる。
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『日本紀略』延喜十一年十一月廿八日
・・・・・ 又以皇女敏子、雅子、普子等、爲内親王。
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承平元年(九三一)十二月二十五日、伊勢齋宮に卜定される。
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『日本紀略』承平元年十二月廿五日
卜定伊勢・賀茂齋王等。先帝第十雅子内親王伊勢卜食。同第七婉子内親王賀茂卜食。
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『一代要記』「第六十一朱雀天皇」齋宮「雅子内親王」
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『貴女鈔』齋宮「雅子内親王」
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承平二年(九三二)六月十日、初齋院に入る。
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承平二年(九三二)九月二十八日、野宮に入る。
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承平三年(九三三)九月二十六日、群行。
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承平五年(九三五)冬、生母源朝臣周子の喪に遭い、翌承平六年(九三六)三月七日、伊勢齋宮より退下。
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『日本紀略』承平六年三月七日丙申
奉使於伊勢大神宮。告齋内親王雅子退出之由。是則遭母喪也。
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承平六年(九三六)五月、還京。
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『日本紀略』承平六年五月一日戊子
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『玉類抄』所引『吏部王記』承平六年五月三日
伊世齋内親王【雅子】還京。蓋因母【源周子】喪也。路歴伊賀・大和□【国カ】破【被】還亭住三埼【崎】離宮。澤【擇カ】自【日カ】入京。
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藤原朝臣師輔の室となる。
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天暦八年(九五四)八月二十九日薨。四十五歳。
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東山御文庫本『一代要記』「醍醐天皇」皇女「雅子内親王」
延木十一−十一月廿八日爲内親王(三歳【ママ】)。承平元−二月【ママ】爲伊世齋。同六−遭母喪。後配右大臣師輔、生太政大臣爲光。天暦八−八月廿九日薨(四十五)。
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天暦八年(九五四)九月四日、薨奏。
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『西宮記』十六「臨時四 喪服」所引『村上天皇御記』天暦八年九月四日丙子
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