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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[叡努]
 
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○ 叡努内親王
『日本後紀・續日本後紀・日本文徳天皇實録 索引』(吉川弘文館、昭和四十年五月初版)、一六頁上には「えぬ」と振假名が付けられている。
『皇胤紹運録』、吹上本『帝皇系圖』、三千院本『帝皇系圖』、前田本『帝王系圖』、『一代要記』、『皇代記』は叡奴内親王と作す。
『日本三代實録』貞觀二年十月十五日辛卯條は叡〓【奴石】内親王と作す。
 
【出自】
 平城天皇の二女。
『續日本後紀』承和二年四月戊子
 
【生母】
 紀朝臣魚員
『日本後紀・續日本後紀・日本文徳天皇實録 索引』(吉川弘文館、昭和四十年五月初版)、三一頁下には「うおかず」と振假名が付けられている。
從五位下。
紀朝臣木津魚の女子。
『續日本後紀』承和二年四月戊子
 
【經歴】
大同四年(八〇九)、勅により大和國平城京中の水田を賜わる。
『日本三代實録』貞觀二年十月十五日辛卯
 
大和國平城京中水田五十五町四段二百八十八歩施捨不退・超昇兩寺。先是、傳燈修行賢大法師眞如上表曰。件田、大同四年 勅賜上毛野・叡〓【奴石】・石上内親王等。彼親王等偏謂私地捨充功徳。・・・・・
承和二年四月十四日、薨逝。
『續日本後紀』承和二年四月戊子
 
无品叡努内親王薨。天皇【仁明天皇】爲之不視事三日。親王者平城天皇第二皇女。母紀氏、從三位木津魚朝臣之女、從五位下魚員是也。
 
【文獻等】
清水正健『皇族考證』第貳巻、二六三頁・二六五〜二六七頁


 
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公開日時: 2004.01.04.

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