前頁 「 永 [永子A]
『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[永子B]
 
フレームなし

工事中

○ 永子内親王
 章善門院
 准三宮
『帝系圖』(『系圖綜覽』第一所收)「章善門院」裏書に「院號章義門院已後也。年月日可尋記也」とある。
 
【法諱】
 「
眞性寂
 
【出自】
 後深草院の女子。
『女院記』「章善門院(永子)」に「第四御女也」とあり、『女院小傳』「章善門院(永子)」に「後深草四女」とある。
 
【生母】
 藤原朝臣房子
藤原朝臣公親の女子。
從二位。
『女院記』「章善門院(永子)」
『女院小傳』「章善門院(永子)」
 
【經歴】
正應四年(一二九一)十二月十五日、内親王となる。
『實躬卿記』正應四年十二月十五日
・・・・・ 良久雜談。抑今夕還御之後、可有立親王儀。予【藤原實躬】可被補職事之旨、昨日相觸也。然而還御以後也。・・・・・ 立親王爲參本所也。然而六位仲通【源】、夕御膳陪膳人及闕如、相講可勤之由、相語之間、解太刀勤了。朝餉也。即有立親王事。・・・・・ 奉行職事頭春宮亮兼仲朝臣【勘解由小路】於鬼間書御名字(高檀紙一枚)。「永子」二字許也。・・・・・ 抑立親王、將軍【久明親王】御一腹姫宮也。
永仁五年(一二九七)十二月二十八日、准三后。
延慶二年(一三〇九)二月三日、院號宣下。「章善門院
正和五年(一三一六)八月二十七日、落飾。法諱「眞性寂」
『女院記』「章善門院(永子)」
後深草院御女(第四御女也)。母内大臣公親女、從二位藤房子。正應四年十二月十五日内親王、永仁五年十二月廿八日准三宮。延慶二年二月三日院號。正和五年八月廿七日爲尼(法名眞性寂)。
建武五年/暦應元年(一三三八)三月、崩御。
『女院小傳』「章善門院(永子)」
後深草四女。母内大臣公親女(從二位藤房子)。正應四十二十五日爲内親王、永仁五十二廿八准三宮。延慶二二三院號。正和五八廿七爲尼(眞性寂)、建武五三□日御事。
 
【文獻等】
清水正健『皇族考證』第肆巻、三三四頁
『皇室制度史料 皇族三』、二四頁


 
次頁 「 永 [永嗣]
『 親王 ・ 諸王略傳 』 目次 「 え 」  『 親王 ・ 諸王略傳 』 の冒頭
『 日本の親王 ・ 諸王 』 の目次


更新日時: 2007.01.02.
公開日時: 2003.08.24.


Copyright: Ahmadjan 2003.8 - All rights reserved.