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『子爵日野西資博第二囘談話速記』宮内廳書陵部所藏[圖書寮 66981/2/明1064]41葉ウ〜42葉ウ(『臨時帝室編修局史料 「明治天皇紀」談話記録集成』第一巻(ゆまに書房、平成十五年(二〇〇三)四月)353〜462頁所收、442〜444頁)
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渡邊編修官 二十一年ノ憲法會議デ昭宮樣ガ御亡クナリニナツテ、其御知ラセニ貴下ガ御出デニナリマシタノデセウカ。〕
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私ガ申上ゲニ參リマシタ。「薨去ニナリマシタ」ト申上ゲマスト唯「フン」ト仰セニナツタダケデゴザイマス。
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金子總裁 貴下ハ右ノ方カラ仰シヤツタ、 陛下ノ後ロノ方ニ御屏風ガアリマシタ。私ハ丁度書記官デアソコニ居リマシタ。サウシテ貴下ハ御歸リニナツタ。貴下ハ伊藤サンニモ仰シヤツタノデスカ〕
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伊藤サンニ申上ゲマシタカモ存ジマセヌ。
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金子總裁 伊藤サンハ貴下ガ御歸リニナルト席ヲ立ツテ行ツテ 陛下ノ御耳ノソバデ何カ申上ゲラレタ。サウスルト何カ御答ガアリマシタ。私共ニハ能ク聞エマセヌ。全ク御二人ノ間ノ私語デス。ソレカラ暫クシテ入御ニナリマシタ。サウスルト伊藤サンハ起ツテ、先刻 陛下ニ「昭宮樣薨去ニ就テ會議ヲ中止仕リマセウカ」ト申上ゲタ所ガ、「此議事ノ濟ム迄續ケヨ」ト仰シヤルカラ續ケタガ、今議事ガ濟ンダカラ入御ヲ奏請シタト云フコトヲ言ハレテ、ソレデ私共ニモ初メテ判リマシタ。〕
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『子爵日野西資博氏第二回談話速記(於臨時帝室編修局昭和四年五月廿四日)』(『明治天皇の御日常』 一四八〜一四九頁)
渡邊編修官「二十一年の憲法會議で昭宮樣【猷仁親王】が御亡くなりになつて、其御知らせに貴下が御出になりましたのでせう。」
日野西資博「私が申上げに參りました。「薨去になりました」と申上げますと唯「ふん」と仰せになつたゞけでございます。」
金子總裁「貴下は右の方から仰しやつた、陛下の後の方に御屏風がありました。私は丁度書記官であそこに居りました。さうして貴下は御歸りになつた。貴下は伊藤さんにも仰しやつたのですか。」
日野西資博「伊藤さんに申上げましたかも存じませぬ。」
金子總裁「伊藤さんは貴下が御歸りになると席を立つて行つて 陛下の御耳のそばで何か申上げられた。さうすると何か御答がありました。私共には能く聞えませぬ。全く御二人の間の私語です。それから暫くして入御になりました。さうすると伊藤さんは起つて、先刻 陛下に「昭宮樣薨去に就て會議を中止仕りませうか」と申上げた所が、「此議事の濟む迄續けよ」と仰しやるから續けたが、今議事が濟んだから入御を奏請したと云ふことを言はれて、それで私共にも初めて判りました。」
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『子爵日野西資博談(大正十五年七月二十六日、同三十日、八月二日聽取)』宮内廳書陵部所藏[圖書寮 66977/1/明1060]3葉ウ〜4葉オ(『臨時帝室編修局史料 「明治天皇紀」談話記録集成』第一巻(ゆまに書房、平成十五年(二〇〇三)四月)99〜230頁所收、110〜111頁)
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憲法會議は、赤坂假皇居の御會食所で行はれましたが、隨分長い間かゝつて居られました、其の當時の事です、昭宮(【振假名】アキノミヤ)樣(猷仁親王)が薨去になりました、其の時丁度御會議中で、陛下は、それへ出御になつて居りましたから、私がそれへ出て、薨去の事を申上げました、陛下は御聽き遊ばして、只「むう、むう」と御頷きになつたまゝで、遂に入御もあらせられず、其の儘會議を御進めになりました、
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『子爵日野西資博談(大正十五年七月二十六日、/同三十日、八月二日、聽取/臨時帝室編修官上野竹次郎筆記)』(『明治天皇の御日常』、一五五〜一五六頁)
○憲法會議は赤坂假皇居の御會食所で行はれましたが、隨分、長い間かゝつて居られました。其の當時の事です。昭宮(【振假名】アキノミヤ)樣(猷仁親王)が薨去になりました。其の時、丁度、御會議中で 陛下は、それへ出席になつて居りましたから、私がそれへ出て薨去の事を申上げました。 陛下は御聽き遊ばして唯「むゝ、むゝ」と御頷きになつたまゝで、遂に入御もあらせられず、其の侭會議を御進めになりました。
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