『 親王・諸王略傳 』 阿 [阿保]  第二頁 
 
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【大江朝臣音人の出自】
大江朝臣匡房の『續本朝往生傳』に、
大江音人卿者大同【平城天皇】後、阿保親王之子也。
とあり、『帝王編年記』十二「平城天皇」皇子「阿保親王」に、
母葛井宿[禰]道依女也。此親王長子音人始賜大江姓。其弟行平・業平二人【ママ】始【ママ】賜在原姓。
とあり、また、『本朝皇胤紹運録』等の諸系譜にも、阿保親王の子として大江音人が擧げられている。
『国史大辞典』「おおえうじ 大江氏」(目崎徳衛執筆。『国史大辞典』第二巻、五一九頁)には、
『尊卑分脈』や正続『群書類従』所収の『大江氏系図』の諸本には、音人の父備中守本主を平城天皇の皇子阿保親王の子とする記事がみられる。しかし、年齢差よりしても、音人は阿保親王の孫ではありえない。『公卿補任』に、音人の母中臣氏が「阿保親王侍女」であるとみえるから、音人は薬子の変によって父阿保親王が配流【ママ】される際、大枝本主に養われてその氏を称したものであろう。
とある。
しかし、大江朝臣音人を阿保親王の子とする説については、例えば、清水正健『皇族考證』第貳巻、二六〇頁 に、
按公卿補任には、行平を第三子とし、三代實録には、業平を第五子とせるを見れば、仲平の兄ありて、夭折などせしならむか、紹運録に、行平守平業平仲平と序列して、行平の上に、大江音人を系したるは、妄ならむ、大日本史大江音人傳中に、按皇胤紹運録、音人系阿保親王子、而注其下曰、先祖本姓 土師、甚無謂、又按補任、音人母中臣氏、本阿保親王侍女、蓋中臣氏爲親王所嬖、有孕而嫁本主歟、然他無明證、今不考、と見ゆ、
とあり、また、星野恒「六孫王ハ清和源氏ニ非サル考」(『史學雜誌』第十一編第二號、明治三十三年(一九〇〇)二月)、一五七頁 に、
大江氏ハモト土師姓ニシテ、菅原氏ト同族タリシニ、音人ノ母ハ阿保親王ノ侍女タリシトテ、其落胤ナリト稱シ、遂ニ家系ヲ改メテ親王ニ系ケ、皇別ト爲ス、コレ菅江二家同シク紀傳道ト爲リ、兩々對立スルヲ以テ、カク家格ヲ高クシテ菅氏ニ駕セント謀リシニ非サルカ、
とあるように、大江氏による假冒であるとの説が早くから存在している。
 大江氏の出自については、
所功「平安時代の菅家と江家」(『皇学館大学紀要』第十三輯、昭和五十年(一九七五)一月、一五一〜一六九頁
等の諸研究を參照する必要があろう。
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【阿保親王と打出・蘆屋】
吉田東伍『増補 大日本地名辭書』第二巻 上方(東京、冨山房、昭和四十四年(一九六九)十二月増補版)「打出(【振假名】ウチデ)」 五九七頁上 に、
打出の北鉄道線の傍に古墳あり、阿保親王(平城皇子)墓と称す。摂津志に此地は親王の別荘にして、地字に御所内堂上金津岡等の遺墟ありと云ふも詳ならず、在原業平の蘆屋に在住したる事は古書に見ゆれば其父君も由緒なしと謂ふべからず。
とあり、同「蘆屋(【振假名】アシヤ)」 五九七頁上 に、
在原業平の此に住みし事は伊勢物語に「昔男津の国むはらの郡蘆屋里にしるよししていきて往けり、爰をなん蘆屋のなだとは云けり」と記す、因りて是は父阿保親王より伝領の荘なるべしと云ふ、其の在住の頃よめる歌は多く勢語に見ゆ。
とある。
「摂津志」とは、並河誠所 『五畿内志 日本輿地通志畿内部』「攝津志」(享保十九年(一七三四))
 一方、『角川日本地名大辞典 28 兵庫県』(竹内理三編。東京、角川書店、昭和六十三年(一九八八)十月)地誌編「芦屋市」一七二五頁左「阿保親王・在原業平の伝承」には、
平安期には,平城天皇の第一皇子阿保親王が打出の地で逝去したとの伝承がある。翠ヶ丘町にその廟所として親王塚があるが,明確な史料を欠き,古墳の築造年代とも合致しない。阿保親王の第5子在原業平についても種々の所伝があり,「伊勢物語」の一段に「あしやの里」と見え,彼の事跡が記されている。打出観音堂の木造十一面観音立像も業平にまつわる伝承をもつ藤原彫刻である。「摂津名所図会」に見える西芦屋の宅址はもとより伝承の域を出るものではない。
とある。
 なお、『兵庫県の地名 T 日本歴史地名大系 第二九巻T』(東京、平凡社、一九九九年十月) 「芦屋市(【振假名】あしやし)」 二三六頁中 〔原始・古代〕 にも、
なお平安期に入って「伊勢物語」第八七段に「蘆屋の里」のことが記されてから、芦屋は在原業平ゆかりの地とされるようになり、業平の父阿保親王は打出(【振假名】うちで)で死去し、その廟所が阿保親王塚古墳であるとの伝承が生れた。しかし古墳の築造年代とは合致しない。
とある。
「摂津名所図会」とは、秋里籬島 『攝津名所圖會』(寛政八年(一七九六))
墓所」、「関連ホームページ」をも参照。
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【阿保親王と河内國阿保】
『角川日本地名大辞典 27 大阪府』(竹内理三編。東京、角川書店、昭和五十八年(一九八三)十月)「あほ 阿保 <松原市>八九頁左 に、
「全志」4によると地名の由来は平城天皇の第二皇子阿保親王が当地に広大な別荘を造営したことによるという。
とある。
「全志」とは、井上正雄 『大阪府全志』(大正十一年)
また、『大阪府の地名 U 日本歴史地名大系 第二八巻』(東京、平凡社、一九八六年二月初版) 「松原市」 一〇九四頁上中 「阿保村(【振假名】あおむら)」 に、
地名は、平城天皇第二皇子阿保親王が、薬子の変に関係した疑いで大宰権帥に左遷されたがのち許されて帰京し、承和元年(八三四)河内国丹比(【振假名】たじひ)郡田坐(【振假名】たい)に広大な別荘を造営したといい、その地が当地であるとの伝えによる。また天平一九年(七四七)東大寺大仏造営のために銭千貫文を寄進した河内国の人阿保連麻呂は(宮内庁書陵部蔵谷森本「続日本紀」九月二日条、金沢文庫本などでは河俣連)、当地の人といわれる。
とあり、同 一〇九四頁下〜一〇九五頁上「稚児(【振假名】ちご)ヶ池(【振假名】いけ)」 (松原市松ヶ丘一丁目) に、
阿保親王の殿舎のうちにあったと伝え、親王(【振假名】しんのう)池ともいう(河内名所図会)。・・・・・ また、昔阿保(【振假名】あお)に阿保親王の後裔の在原信之なる者がおり、その子幸松麿が長和三年(一〇一四)六月一五日、母の病の快癒を祈って報いがあったのを喜び、池に身を投じたという。・・・・・ 昭和四〇年代後半に大部分が埋立てられ、往時の景観はない。
とある。
墓所」、「関連ホームページ」をも参照。
 
【阿保親王と藤井寺】
『民經記』嘉祿二年(一二二六)九月十八日條に、
 藤井寺。此寺阿保親王御願云々。
とある。
『国史大辞典』「ふじいでら 葛井寺」(井上薫執筆。『国史大辞典』第十二巻、一三〇〜一三一頁)に、
永正七年(一五一〇)三条西実隆が記した寺記(『西国三十三所名所図会』所引)や『勧進帳』(当寺蔵)には行基開基、阿保親王(母は葛井氏)再興というが、通説では河内国志貴郡長野郷に集住した百済系渡来人葛(藤)井氏の氏寺という。
とある。
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【阿保親王と阿保山願成寺】
『京都大事典』(京都、淡交社、昭和五十九年(一九八四)十一月二二〇頁下「願成寺 がんじようじ」 に、
東山区本町一五丁目にある臨済宗東福寺の塔頭。本坊の南西方に位置。阿保山と号す。本尊釈迦如来。もと伏見区願成寺町にあって天台宗に属し、願成就寺と称した。開基は阿保親王。嘉元元年(一三〇三)南洲宏海が再興、臨済宗に改宗。足利氏が伽藍を建立し、十刹の一に列す。中世末に衰退したが、江戸前期、天和年間(一六八一〜八四)に現在地に復興、願成寺と改称。寺宝に絹本著色仏通禅師像・癡兀大恵墨蹟(いずれも重要文化財)など。
とある。なお、江戸前期には、新しい寺を建立するために寺社奉行から許可を取ることは困難であったので、廢寺を復興するという名目で、しばしば、實質上 新しい寺が建てられた。
「願成就寺」という寺名の由來は、大宰府に左遷された阿保親王は歸洛を願い佛に祈っていたところ、願いが成就して歸洛することが叶ったことによる、という。なお、「願成就寺」の後身たるべき「願成寺」のホームページには、
阿保親王は時の政変に巻き込まれ、心労の内にお亡くなりになりました。当山はこの阿保親王を鎮魂するお寺として千年の時を刻んでおります。
当山は、その歴史に基づき、親王の霊をお慰めすると共に、皆様方の様々な苦を巻物にこめてお預かり致します。
このお預かりしました「苦」を消滅祈祷するお祭りとして、毎年十一月三日に「苦労消除祭」を厳修致しております。
とある。
関連ホームページ」を参照せよ。
 
【『朝日新聞』における「阿保天皇」誤記一件】
 二〇〇五年(平成十七年)七月九日付『朝日新聞』、e1〜e2 頁の「愛の旅人 伊勢/京都 貴公子歌人を彩る悲運 在原業平と高子 古今集−伊勢物語」に載せられた略系図(e2 頁)に、在原業平の父の名が「阿保天皇」と誤記されていた。
 これについて、『週刊新潮』七月二八日号(二〇〇五年)は、
    阿保天皇記事を回収しなかった「朝日新聞」の皇室観
という表題の記事を掲載した。
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【文獻等】
清水正健『皇族考證』第貳巻、二五九〜二六一頁、二六四〜二六七頁。
金田元彦「阿保親王」(金田元彦『伊勢物語私記』(東京、風間書房、平成二年(一九九〇)六月)二四二〜二七一頁所收。初出、『古武士の知恵』(昭和三十四年(一九五九)三月)所收)

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【關聯ホームページ (2006.7.現在)】 
マイケルの「ここは芦屋の打出」』
 http://www.trans-usa.com/ashiya/index.html
  阿保親王廟&阿保親王墓 道標
http://www.trans-usa.com/ashiya/shinnou_g1.html
  阿保親王塚古墳
http://www.trans-usa.com/ashiya/shinnoudzuka.html
  親王寺
http://www.trans-usa.com/ashiya/shinnouji.html

「打出の小槌」蔵屋敷』
 http://homepage1.nifty.com/0705/index.html
  阪神間歴史散歩
http://homepage1.nifty.com/0705/rekishisanpo.htm
● 「阿保親王塚?」について

MAT『芦屋物語』
 http://www.ceres.dti.ne.jp/~mat/index.html
  芦屋の歴史・伝説 (1頁目)
http://www.ceres.dti.ne.jp/~mat/ashiya-information/rekishi-densetu/1.htm
阿保親王塚(あぼしんのうづか)
親王寺(阿保山親王寺)

伏見稲荷大社』
  http://www.inari.jp/index.html
  周辺マップ
http://www.inari.jp/f_shuhenmp/index.html
   阿保親王塚
http://www.inari.jp/f_shuhenmp/aboshinno.html

東福寺塔頭 阿保山 願成寺』
 http://www3.ocn.ne.jp/~ganjoji/index.html
  願成寺について
http://www3.ocn.ne.jp/~ganjoji/gan.html

松原市役所『大阪府松原市MEWS ミュース』
 http://www.city.matsubara.osaka.jp/index.cfm
  歴史ウォーク
http://www.city.matsubara.osaka.jp/walk/frameset.html
   23. 阿保親王の別荘造営
http://www.city.matsubara.osaka.jp/walk/7-23.html
  加藤孜子「まつばらの民話をたずねて」
http://www.city.matsubara.osaka.jp/minwa/minwa.html
   商売の始まり 松原の民話第10話 (2003年3月)
http://www.city.matsubara.osaka.jp/minwa/minwa10.html
   親王から罰を受けた毒蛇 松原の民話第11話(2003年3月)
http://www.city.matsubara.osaka.jp/minwa/minwa11.html
   はがみさん 松原の民話第12話(2003年4月)
http://www.city.matsubara.osaka.jp/minwa/minwa12.html
   四十二の膳と狐の嫁入り 松原の民話第13話(2003年4月)
http://www.city.matsubara.osaka.jp/minwa/minwa13.html
   弁天池の大百足 松原の民話第14話(2003年5月)
http://www.city.matsubara.osaka.jp/minwa/minwa14.html
   阿保親王と稚児が池 松原の民話第15話(2003年5月)
http://www.city.matsubara.osaka.jp/minwa/minwa15.html
   松原の阿保親王伝説 松原の民話第16話(2003年6月)
http://www.city.matsubara.osaka.jp/minwa/minwa16.html
   御陵で阿保親王を見た男(大塚山にまつわる話四話その一) 松原の民話第18話(2003年7月)
http://www.city.matsubara.osaka.jp/minwa/minwa18.html
   消えた牛石(夜泣き石)(大塚山丘陵にまつわる話四話その二) 松原の民話第19話(2003年7月)
http://www.city.matsubara.osaka.jp/minwa/minwa19.html
   雨を呼ぶ大塚山の牛石(大塚山丘陵にまつわる話四話その三) 松原の民話第20話(2003年8月)
http://www.city.matsubara.osaka.jp/minwa/minwa20.html
   第22話 一津屋古墳の字お墓(誰も知らないお城) 松原の民話第22話(2003年9月)
http://www.city.matsubara.osaka.jp/minwa/minwa22.html
   長尾街道4キロ民話散策 松原の民話第23話(2003年9月)
http://www.city.matsubara.osaka.jp/minwa/minwa23.html
   竹之内街道沿いの大塚山民話 天と地の牛石/消えた牛石の正体 (大塚山民話発祥地の語り4話の4) 松原の民話 第44話(2004年12月)
http://www.city.matsubara.osaka.jp/minwa/minwa44.html

古代であそぼ』
 http://www.d3.dion.ne.jp/~stan/index.html
  阿保神社 (松原市阿保
http://www.d3.dion.ne.jp/~stan/j_osk/o4hrk01.htm#ao

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更新日時: 2006.07.15.
公開日時: 2002.04.21.


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